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「公開質問状へのご回答」の感想と問題点の解説⑦


30.行動提起は山城博治氏の独断で発表された

⑦ 県民に対して提案される「行動提起」は、集会における最重要メッセージです。 提案された3つの「行動提起」の内容は、運営委員会で話し合い、承認されたものでしょうか? また、全体会議においてはどうでしょうか?

これまで過去4回の集会と同様に、運営委員会議や全体会議の議論をおおむね踏まえ、事務局長が作成していました。運営委員会議、全体会議では内容を承認する前提はありませんでした。 今後は、運営委員会議ならびに全体会議において協議を重ねながら行動提起の位置付けを考えていきます。

この回答は、公開質問状の全ての回答の中で、一番衝撃を受けたものだ。
これまでの5回の集会全てで、山城博治氏は行動提議を一人で作成し、誰の承認を得ることもなく、内容の議論もなく、発表することが許されていた。
これはもう、山城氏の独裁制と言っても過言ではなく、残念ながら山城氏に「民主主義」を語る資格はない。県民の会の私物化である。
このような事実が明らかになってもなお、山城氏を運動のリーダーと持ち上げる人は、民主主義を放棄していると思う。 山城氏の独裁制を認めていた周囲の人達も同罪である。
もし私が内部にいたら、当然だが、行動提議は事前に案を出してもらい、運営委員会で検討し、全体会議に諮って承認を得てから、集会で発表するということを求めたと思う。そもそも、1人が案を出すこと自体がおかしい。行動提起は集会の重要なことなので、呼びかけ団体の意見を取り入れて案を作るべきである。 そうすれば「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」の1つ目の行動提議が「若者を見守ろう」になることは、絶対になかったと確信できる。

私は、この家父長制的独裁制に物申したい。 一家の主、この会でいえば事務局長である山城氏が、右と言ったら右になる、バッシングだと言えばバッシングになる。 このような組織に平和運動ができるわけがない。 なぜならすでに組織内が対等でないからである。 支配・被支配の関係性は、平和とは相容れない。 今回の問題は、チェック機能を持たない家父長制的組織が起こした問題であり、「バッシング」発言は、きちんとした民主的プロセスを経ていれば防げた暴言であった。

以下が、山城氏が発表した3つの行動提起のひとつ目である。

山城博治氏「行動提起」問題の部分の書き起こし
「集会の直前になって、NSSと言われるネットの情報の中で、いま、私たちの、いま発言した若者たちをバッシングする、そういう声が強くなって、主催者としても胸を痛めたところであります。お集まりの皆さん、確かに若者たちの言葉は、私たちの胸に届かないかもしれない。まだ、反戦平和を語るような力強いメッセージがないかもしれない。けれども、思いは同じではないでしょうか。どういう風に表現するかは別にして、戦争のない時代をつくる。自分たちの未来はそのようにつくると言っています。どうぞ、皆さん、若者たちを見守ってあげてください。押し出してください。かならずや時代は彼女・彼らに引き継ぐんです。いつまでも私達の時代ではないんだということを思いながら、ぜひ力強く、若者たちのあとを押し出して、彼らに引き継ごうではありませんか。今日このように歌を歌いメッセージをしてくれた若者達に感謝しながら、全力をあげて私達も支えていく、そのことをまず、申し上げたいと思います。頑張っていきたいと思います。」

回答には「運営委員会議や全体会議の議論をおおむね踏まえ、事務局長が作成していました。」とあるが、ひとつ目の行動提起の内容についても、運営委員会や全体会議で議論されていたということだろうか。このような内容について、運営委員会議や全体会議で実際に議論が行われたのかどうか、確認したい。

また、この回答のおかしなところは、「運営委員会議、全体会議では内容を承認する前提はありませんでした。 」と述べているが、それについての反省がないことである。承認を得ないことが問題であった、間違っていたという振り返りはなく、ただ「内容を承認する前提はありませんでした。」という事実だけを述べている。それが大変な問題であるという認識はないのだろうか?
今後についても、「今後は、運営委員会議ならびに全体会議において協議を重ねながら行動提起の位置付けを考えていきます。」という何とも不可解な回答である。「協議を重ねながら行動提起を作成する」ではなく、「協議を重ねながら行動提起の位置付けを考える」。行動提起の位置付けとは、そんなに難しいものだろうか。これでは、今後の改善も期待できない。

31.バッシングは実際にあったのか

⑧「バッシング」とは具体的に、どのような内容でしょうか?

事務局長は、若者たちやこれから平和運動に参加しようとする人がプライバシーの危険を感じ、発言や行動が萎縮してしまうような言動やSNS上での投稿などあったという認識で発言しました。

この回答も、非常に分かりにくい。真実が分からない。
事務局長は「あったという認識」だった。実際は、そのような言動や投稿は、あったのか、なかったのか。
事務局長が、ないものをあったと認識したのか、実際にあったものを認識していたのかが分からない曖昧な表現である。
また、「これから平和運動に参加しようとする人」が危険を感じたり委縮してしまうというのも、仮定の話である。山城氏の想像でしかないのではないだろうか。
山城氏がないものをあったと勘違いをしていたのか、それとも実際にあったのか、確認したい。また、あったのであれば、「若者たちやこれから平和運動に参加しようとする人がプライバシーの危険を感じ、発言や行動が萎縮してしまうような言動やSNS上での投稿」を具体的に示してもらいたい。

⑨ 山城博治氏個人だけでなく、県民の会の運営委員会も、「バッシングがあった」という認識を持っているのでしょうか?

県民の会の運営委員会は、ロゴやキャッチコピーに関する指摘についてはバッシングとは認識していません。的確なご指摘だったと考えております。

⑩ 11 月15 日に宮城秋乃氏が、特定の思想団体のロゴとキャッチコピー使用の問題を明らかにし、そこからネット上で県民の会への批判の声が広がりました。これらの批判の声についても「バッシング」であるという認識でしょうか?

ロゴやキャッチコピーのご指摘についてはバッシングと捉えていません。ご指摘がなければそのまま使用していた可能性があります。ご指摘をいただいた宮城秋乃さん、公開質問状を提起してくださった石嶺香織さんはじめ賛同者の方々に感謝いたします。

質問⑨では、運営委員会も「バッシングがあった」という認識を持っているのかどうかを質問しているのだが、それには答えていない。

運営委員会は「ロゴやキャッチコピーに関する指摘については」バッシングとは認識していないということだが、県民の会の活動に対しては、「争うよりも愛しなさい」のスローガンについてなど、他にも様々な指摘があった。「ロゴやキャッチコピーに関する指摘」以外はバッシングと認識しているということか。また、そうであるならどのような指摘をバッシングととらえているのか回答を求めたい。

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