氷河期
情けない話だが、そういう時こそ、格好つけて話そう。
電気が止められた。
毎月支払わなければならない電気代も3カ月出し渋ると、東京電力から有無を言わせぬ強制制裁が下るようだ。
帰って家の電気のスイッチを押すも、既に彼らの手が下された後だった。
「またか」
真っ暗な部屋でつい声に出てしまった。
パチパチと何度スイッチを押しても部屋に乾いた音が響くだけだ。
(またか、ということは前科が何犯もついているとこは他言を要しない)
流石プロ。
怠惰にかまけず、毎度のように職務を遂行する東京電力には感心する。
ちょっとはかまけてくれえ。
だがしかし、この程度では我が生命力を揺るがすに至らず。
電気など、マ〇ドナルドやカフェなどで電源を確保できる。(店の善意に甘えることを恥じずここに高らかと言おう)
加えて、私にはまだガスと水道という2大ライフラインが残っているのだ。
電気1つ止められたところで何も怖くはない。
2機もライフが残っているのだから!
こんな逆境に屈する私ではない!!!
ガスを止められた。
シャワーを浴びようとしたとき、待てど暮らせどシャワーの水が温かくならない。
おかしいと思って(もう分かってはいるが)コンロを回しても火がつかなかった。
とうとうガスもやられた。
普通なら、絶望するだろう。
ああ、ライフラインのうち過半数をやられてしまった、と。
だが止められた時期に私は勝機を見出した。
夏はそもそも冷水で十分じゃないか。
江戸時代までさかのぼれば、温かい風呂に浸かれることなど贅沢。
それに比べたら毎日冷水だろうがシャワーを浴びれる、こんな幸せはない。
人生、下を見ればいくらでも幸せに感じることができるのだ。
下過ぎて江戸までさかのぼってしまったが。
甘かったな、東京ガス。
この程度で私の平穏は脅かされない。
そして、水道が止まった。
部屋から何も出なくなった。
こればっかりはきつい。
家が、ただの暗い空間と化してしまった。
幸福なことに、駅にネットカフェがあり、毎日シャワーも浴びることができるが、帰る場所が屋根と壁だけの空間は精神に来る。
トイレをしたくなれば、コンビニまで足を運ばねばならない。
すると人間、ぎりぎりまで我慢するのだ。
この時の情けなさといったらない。
私生活においても、
後輩がご飯に誘ってきたときは、先輩として当然奢るが、お会計の時に出すカードが震えるのだ。
支払える見込みのない、先延ばしの支払いなのではないか。
未来の自分よ、なんとか頑張って返済したまえ、と縋る思いが震えされるのだ。
というわけで、現在氷河期真っただ中だが、ありがたいことにテレビの仕事が少しずつだけれど増えてきている。
この生活も、長くて今年いっぱいだと信じて頑張る所存である。
いろいろな環境にいる人もいると思うが、経済面からみて私ほど困窮した人間もそう少ないのではないだろうか。
大丈夫、みんな僕よりマシだから。
僕が江戸時代の人たちをみて、これよりはマシだと幸せを感じるように、読者諸兄姉も何かあれば、僕の経済面と比較し優越感を感じてほしい。
それがせめてもの救いでもあるからだ。
長くなったが、兎に角、
半年ほど家賃を払えていないのに何も言ってこない大家さんに感謝。
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