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【ネタ 365days day 5 「きれい」の手前にあるもの】


こうして言葉をかいておいてなんなのだが、わたしはあまり言葉に振り回されないように注意している。
いま特に注意しているのは、感情をあらわすときの言葉。

例えば、どこまでも抜けるような雲ひとつない青空を見て、まさに沈んで行き空を真っ赤に染める夕焼けを見て

「きれい」

というのは簡単だ。

感情が溢れてしまってどうしようもなくて、口からこぼれるような「きれい」はいい。
けれど、雲ひとつない青空=きれい、真っ赤な夕焼け=きれい、みたいな、口先だけすぐに言葉にしてしまうことが、なんだか嫌になった。

言葉はエッセンスだと思う。あるものから抜き出して、誰かに伝えやすくしたものだと思う。
だから、そこから抜け落ちるものが必ずある。
感情はわたしの中では高低差のあるような海みたいなもので、継ぎ目がなさすぎて言葉にはとてもしづらい。
夕焼けを見てすごい!と思いつつも、なんだか恐いような、感謝したくなるような、畏怖だと言い過ぎだし、ありがたいなぁとも違うし、赤いなぁとか、不思議だなぁとか、引いては返す波のように、さまざまな感情が訪れては去っていく。
これをただ「きれい」とあたまの中でも言葉にしてしまうと、なんだか薄っぺらくなってしまうように感じる。

なので、ただ見ている。

青いとか赤いとか、そういう言葉もなくして、赤ん坊の目にただ空が映っている、けど見てはいるように。

そうすると、どこで感じているのかはわからないけれど、自分のうちに感覚のうねりが生まれて、気持ちが満たされていく感じがする。
そうして、自分の中から溢れてしまって、もうどう処理したらいいかわからないときに「すげぇ」とか言ってみる。

言葉はすごい。
ただ、早々に言葉で定義せずに、しばらく感覚の海に浸ってみるといい気がしている。



#焚き火です
#ネタ365days

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