見出し画像

奈良のおじいちゃん

記念すべき初めての記事には、私が尊敬するある人について記そう。
その人は今年の3月にポックリと旅立ってしまった。
好きかと訊かれたら素直に好きですとは言えない、決して良い関係ではなかったが、いつまでも忘れないように、もう届かないその人への想いをここに書き記そう。

その人は白髪がとても綺麗でお洒落だった。
そして人目を気にせず、いつもはっきりとものを言う。
若い頃大阪に自分で小さな会社を作って、長いことバリバリ働いていた。
その小さな身長からは考えられないスピードで、大阪の地下鉄を闊歩する。
味噌汁は汁だけ飲み、好物は551のアイスキャンディ。
その人は私の父方の祖父である。
通称奈良のおじいちゃん。
私は長年、このおじいちゃんとの付き合い方に頭を悩ませていた。そして、その答えを見つけることはとうとうできなかった。

子供のころ、私は山口県に住んでいたので、奈良のおじいちゃん家に遊びに行くのはお盆の間くらい。
その時をいつも楽しみにしていたのと同時に不安でもあった。
何しろ、私にはおじいちゃんが何を考えているのかが全くわからなかった。ただ、私と話す時は何となく退屈そうだった。
これ以上は嫌われたくないな…
心の中でいつもそう思っていた。だから、おじいちゃんと話すのがいつの間にか苦手になっていた。
私が人見知りをする子だったのも相まって、顔色を伺いながら話すのがおじいちゃんはきっと面白くなかったのだと思う。
おじいちゃん家への小旅行中は、いつもそんな不安が付き纏っていた。

中学2年の夏休みにおじいちゃんが、私たち家族を石垣島に連れて行ってくれたことがあった。スキューバーダイビングをしたり、もののけの森に行ったり、マングローブ林をカヌーで探索したりと、初めての体験をたくさんさせてくれた。そんなおじいちゃんに本当に感謝していた。
空港で帰りの飛行機が到着するのを待っている間に、ほんの少しだけおじいちゃんと話した。

祖父「旅行は楽しかったか?」
私 「うん、すごく楽しかった!」
祖父「何が一番楽しかった?」
私 「うーんとね…うーんと…」
もともと話すのが得意ではない私は、全部楽しかったから何て言ったら良いだろうか、何て言ったら伝わるかな…と考え込んでしまい、すぐに答えることができなかった。すると、
祖父「なんやー、楽しくなかったんか」

考え込んでいた私の姿がおじいちゃんの目にはそんな風に映っているのか。私の思いとは真逆のものがおじいちゃんに伝わってしまった。どうしよう、もう完全に嫌われてしまった。
私の頭の中はプチパニック状態で、弁明する言葉さえ出てこなかった。
中学2年生にもなって、旅行の感想を言い合うという何気ない会話でさえ、私はおじいちゃんとできなかった。
この時のことが本当にショックでそれ以降、私はおじいちゃんと話すことが益々出来なくなってしまった。

それから自分の生活が段々と忙しくなっていくに連れて、家族でおじいちゃん家に行くことはほとんど無くなってしまった。
すると極々たまに、おじいちゃんから私の携帯に電話がかかってくるようになった。今でも酷い孫だと思うけど、私がその電話に出ることもかけ直すこともほとんど無かった。
私はおじいちゃんからずっとずっと逃げていた。逃げていれば、これ以上嫌われなくて済むんじゃないかと思っていた。

そんな私にも一度だけ、おじいちゃんに少しは認めてもらえたかもしれないと感じた出来事がある。
中学3年の時、私はひょんなことから生徒会長を務めることになった。柄にもなく、こんな大役を任されてしまい、心底不安だった。そんな時、おじいちゃんが私たち家族の家に遊びに来ることが決まった。
新幹線と電車を乗り継いで往復5時間はかかるだろう道のりのこと、今まで来てくれたことはほとんど無かったことを思うと本当に驚いた。なぜだろうと父に尋ねてみると、なんと、私の生徒会長就任をお祝いするためにわざわざ来てくれるというではないか。
嫌われていると思っていたおじいちゃんが、私のためにお祝いしに来てくれることが本当に嬉しかった。その時、何があってもしっかりと、この大役を果たそうという覚悟ができた。

何とか大役を果たし、少し自信がついたと同時に私は燃え尽きていた。そして始まったのは、ドン底の高校生活である。第一志望の高校に入学できたものの、先生もクラスメイトも好きになれなくて人間関係、勉強、全てにおいてやる気が全く出ない。
その時思い出した。あぁ、そうだった。私は元からダメダメな人間だったのだ。ちょっと大役を任されて、自分も出来る人間だと勘違いしていたのだ。

この考えがおじいちゃんと私の間の溝を深めてしまった。こんな自分にはおじいちゃんに合わせる顔が無い。話せることも無い。認めてもらえるところも無い。
だから私はおじいちゃんから逃げて、逃げて、逃げ続けた。そしていつか、あの時のように認めてもらえるような人間になろうと甘い考えを持っていた。

今、私には目指している職業がある。
きっとこの仕事について一人前になれば、私は自分を肯定することができて、自信を持っておじいちゃんと向き合うことができる。そう思っていた。

でも、おじいちゃんは逝ってしまった。それはもうあっさりと、心地良い夢でも見てるかのような穏やかな死顔で。
私の気持ちは置いてけぼり…
でも何故か後悔はしなかった。おじいちゃんから逃げ続けていた自分を、私は心の底では肯定していたのだ。それでいいじゃないかと、認めていたのだ。それがとても悲しかった。

真っ白な白髪にぴったりの、純白の死装束姿。
おじいちゃんってこんなに小さかったかな…
結局、おじいちゃんのこと全然わからなかったな…
そんなことを思いながら棺桶にお花を添える。

私とおじいちゃんの共通点といえば、椎茸嫌いなところと、あくびの仕方と、少し珍しい苗字くらいだろうか…
それで充分である。私の中に生きているおじいちゃんと共に、私はこれから生きていく。
自分を肯定できるように、おじいちゃんのように堂々と胸を張って生きていけるように、私は考え続ける。おじいちゃんは何を思い、何を考え、私と接していたのか。

逃げ続けていたおじいちゃんと今度こそ向き合いたい。少しでも、その心に近づきたい。
もう二度と触れることはできないけれど、その先に答えなど無いと分かっていても。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?