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大人でも迷子だから



大人なあなた、"そよ"に共感して

私は、かねてから、CGで製作されるバンドリシリーズに偏見を持ち、今まで本腰を入れて視聴してこなかったが、本作「It'sMyGO!!!!!」からは偏見を捨てることができ、主人公、”高松 燈”を始めとするMyGO!!!!!メンバーの言動に共感できたことを前記事「僕には届かない場所があるんだ」に記述した。
本作は、”燈”が「迷子」と称す、「十代の子供」が抱える不安定な心理をバンド活動を通して表現していくストーリーである。
迷子であることが許されない社会人=大人である私はどうして共感できたのだろうか。
今回、最終話まで見終えて、MyGO!!!!!のベーシスト"長崎 そよ"の存在が、嫌というほど大人をやってきた私にとって、本作への水先案内人であったことに気がついたので、それを説明したい。
なお、本作の視聴者の大半が若者であることに対して、私は少数派の高齢者であることから、本説は、レアケースとなる可能性が高いことを含み置きいただくと幸いである。

長崎 そよ

一生バンドするなんて無理よ

最終話を私なりに観る。
ライブの打ち上げで、"そよ"が"燈"に本当に一生バンドをする気なのか聞き返す。
それは、ライブで輝いた一瞬を積み重ねていけば、やがて一生になるという”燈”の主張とそれに共感するメンバーへの反駁であった。
”燈”の主張が現実離れしていると考えるのは”そよ”だけであった。
その後、”そよ”は”燈”と二人きりとなった際に、”燈”の書く詩が苦手だったと吐露する。
むき出しの叫びであるそれは、”そよ”の叫びでもあったことに気付いたからだという。
本心を隠して対人関係の保持に勤しんできた”そよ”にとって、”燈”の詩によって本心を晒されることは辛いのだろう。
”そよ”が自身の本心と向き合うことになるからだ。
本心を偽って行動する自分を顧みることになるからだ。
”そよ”は”燈”とバンドを続けることは、それらに死ぬほど悩まされることを覚悟の上であるこを”燈”に淡々と伝えた。

将来、どうするの?

私は、これらのシーンを観て、”そよ”がバンド内随一の分別ある大人と認識した。
まず、大人な私には、”そよ”が”燈”の「一生バンドやろう」の主張に水を差す気持ちはよく分かる。
人生はバンドだけやれば良いというものではなく、学校にも通い、近い将来は就職も必要である。
就職したらバンド仲間より仕事仲間との付き合いが増えるのは確実である。先を見通すことができる大人なら一生バンドを続けることに頷けまい。
私は、大人である”そよ”の目線で本作の世界を見渡すことができたのだ。
一方、”燈”は、後先考えずに一生バンドする覚悟を求めているだけの子供であり、大人な私にとっては感情移入しにくい。
”そよ”のおかげで私にはリアリティが生まれていると思う。

燈ちゃんの詩が苦手だった

次に、”そよ”が、自己の本心を暴露されるかのような”燈”の詩を苦手とする気持ちもよくわかる。
大人は、本心を隠すように強いられ、それと違う行動を強いられるからだ。
私の経験では、仕事で上司から下された命令には、たとえ本心がそれを拒んでいても否応なく従うことがある。
例えばその1、上司から「実績が上がってないのは何故か」と尋ねられたら、その原因だけを答えるのではなく「上がった実績」という結果を出すということを抑えて、気を利かせておく必要がある。
実績が上がらない原因を理解して欲しいのが部下の本心だが、そこでそれを叫んでも大人の社会では弱音を吐いたとしか思われないのだ。
例えばその2、上司から「来客に失礼のないように」と言われたら、身だしなみを整え、徹底的に清掃し、来客の通行の邪魔になるものは排除するのだ。
たとえ、排除が禁じられているものであっても、どんな言い訳を取り繕ってでも実行するのだ。
例えばその3、上司から「友好的な職場にしたいが、その方法」を求められたら、ワーキングランチや懇親会等と答えるのではなく、自分が幹事となってそれらを開催するのだ。
最近はパーティ等を忌避するドライな若手が増えている実態があってもだ。
これら「理解てほしい」「間違っている」「嫌だ」という、社会人になる前に培ってきた本心を”燈”の詩のように叫ぶことができなくなるのだ。
叫ぶ=不満があると認識されるだろうし、給料をもらうためには我慢が必要だ。
何年も我慢を続け、社会人という大人に染まると、次第に叫ぶための言葉さえ思い出せなくなるだろう。
丁度、本作には、
「♪…また今日も声にならずに飲み込んだ感情…♪」(「迷星叫」より引用)
「♪…傷つけたことに傷ついている…♪」(「迷路日々」より引用)
といった大人になって上司の命令に苦悩する際、心に響きそうな詩も登場するが、大人になりすぎた私はそれらを当初認知できないほど麻痺していた。
本心を晒すのを嫌がる”そよ”を意識したおかげで、かろうじて自分の本心とやらを再認識できた。

高松 燈

あなたの本心は


一方で、大人になったら本心の叫びを忘れ去るのも悪くない。
先ほども言ったように、大人は本心を抑えるのが常識なので、いっそ、開き直って建前だけで生きていくのも有りだ。
そうした方が大人社会では都合が良く生きやすい。
「年相応」という言葉もあるのだから。
「大人しい」という言葉は概ね誉め言葉としても使われている。
迷いを無くせば、替わりに新しい価値観が身に付くようだ。
上司の命令で始めた接待ゴルフが、自分の生涯の趣味になることもある。
アニメ等の鑑賞を卒業し、新たに、演劇、オペラ、能等の芸術を鑑賞するようになるかも知れない。
ゲームを止めたらパチンコ等のギャンブルにはまるるかも知れない。
リセットして経験値を高めていくのはゲームの極意でもあり人生と同じではないだろうか。
新たな価値観と経験値に応じて、新たな本心が生まれるかも知れない。
少し冷静に考えれば、全人口の内、大人の占める割合が子供のそれを圧倒していることは明らかだし、平均寿命の内、大人である時間が子供のそれを凌いでいることも然りであるから、大人であることがこの世の主流なのだ。
にも拘わらず、本作が未視聴な上、興味関心だけは捨てられないという大人は、子供時代に培った自分の本心を捨てきれずに迷っているのだと思う。
本作を視聴しない限り迷いが解消されることはないだろう。
本作を視聴するか否か迷っている社会人には、”そよ”に注目して視聴することをお勧めしたい。
”そよ”が登場するシーンがあれば、途中から視ても構わない。
まず、”そよ”に大人である自己を投影し、本作の世界に入った上で、本心の叫びを演奏するMyGO!!!!!をご覧いただき、この先も本作の視聴を続けるか否かを見極めて欲しい。

私は、このとおり本作にはまったが、本心を少し取り戻せて若返ったようで心地良い。

Ave Mujica登場

蛇足だが、私は、次回作「BanG Dream! Ave Mujica」にも興味がある。
視聴の際、大人な私の水先案内を務めてくれるのはAve Mujicaベーシストのティモリス(八幡海鈴)だと思う。


ティモリス(八幡海鈴)

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