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ファッション業界こんにちはさようなら

こんばんはお疲れ様ー。Timです😄

今回のnoteは、私がブランドを立ち上げるずっとずっと以前(ぴちぴちヤングの時)のお話を書こうと思います🐻

long long ago……

長くなると疲れるので簡単に!

そんな大層な事は書いてません、ファッション業界に飛び込んで、違和感を覚えてさっさと業界を去るだけのほんの振り返りです。


大学中退後に2、3年程(もう本当あんまり細かく覚えてられませんねー)アルバイトで生活して、何と無くアパレル業界に就職しました。

理由は多分他に自信がなかったから。

私の祖母は日本にイタリアの生地を紹介する仕事をしていて日本で祖父と知り合い結婚したそうで、家には沢山の美しい生地が溢れておりました。

小さいながらも(小学生の時点で体重80キロ位あったので相当小さく無い笑)その綺麗な生地達に多少の少女心を持っていたであろう私はゾッコンんであった事、小さな頃に男の子でありながら今は亡き母の髪を櫛でといてあげる事が大好きだった事、はここで書いておきます。

さて、その時は他に何をしたいかもわからず霧の中という軽い気持ちで運良く銀座の婦人服や着物等を手広く多数扱うアパレルの会社に就職できました。

銀座ぎんざぎんざ〜

運が良かったのか?
(僕の人柄が良いから?)なかなか良い売り上げ成績をあげる私は社長に大層気に入られ、2年程の販売経験後に急遽店舗若返りを計る為に海外ブランド(国内ブランドも)のバイヤーの仕事を任される事になり約3年間程、海外ブランドを扱うメーカーからの仕入れや、店頭ディスプレイを全て任される事になりました。

その時に扱っていたブランドや仕入れ無かったのが今も悔やまれるブランド(特に憧れていたアレキサンダーマックィーンとか)は数知れず...

痛たたた


しかーーし!!

最後はあっけなく、あんなに愛してくれた店長や社長と(ワンマンな私が悪い)揉めに揉め…

速攻退職→転職となりました...

チャンチャン。

😰笑


パリコレ常連のドメスティックブランドに就職

さて、次も運良く
(運だけで生きてないか?)
某パリコレ参加もしていたドメスティックブランドに就職が決定。

初勤務先は渋谷◯井の最上階の店舗(店長は優ゲイ丸出し)(私もゲイだが)で約半年程勤務、その後は新宿◯井メンズ館の新店舗店長として新宿ライフを謳歌しました🎵

そして約1年後、
あっという間に青山本店のメンズ店長に。

この某ブランドは元々芸能人の衣装を作る事も多く、頻繁に芸能人や有名モデル達が来店、まるで自分も特別な人間ではないかと錯覚する程でした。
(最悪〜!今の私はこの頃の自分を見たら大嫌いな奴と思うでしょう)


でもですね、
夢から覚める時が来たんです。


銀座という一流の街では海外ブランドを扱い、青山というオシャレエリアでは人気ブランドの店長を勤め、たまにファッション雑誌にコメントを書いたり、パリコレを見たり、東京コレクションを観に行ったり、芸能人と話したり、一流のスタイリストにどんな服が合うのか相談されたり、夜は酒も弱いのに業界人達と表参道で飲み会に出かけたり、コレクション前には美しい男女の海外モデルと会って談笑したり、業界の人達と言葉を交わし、情報を交換したり、相談したり、考えたり、考えたり、考えたり....考え……

あれ?

僕のいる場所じゃない

ここ。

何故??

.......

そうだ

違和感が襲う
今迄オシャレ談義をしていた仲間と思っていた人達に対する違和感が...

僕がファッション業界に入って多少なりとも自分で得た答えは違っていた。

色々な体型の人がいるのに?

色々な瞳や肌の人がいるのに?

何故同じ流行っている物だけを善としているのか?

何故オシャレじゃないと決めつけ悪としその人をただ笑うのか?


絶対に違う。


その洋服を着た向こう側にどんな自分が立っているのかを想像する事

どんな自分になりたいのか?

どんな人間に見られたいのか?

自分自身を素敵に魅せる事

自分を理解する事、自分の体型に合う物を選択出来る事、自分を演出する事こそがファッションでありお洒落の本質だという事だった。



さようなら夢の業界

さようなら日本の流行のみが善であるという異常な特別世界


はい。

終わり。

唐突に。
(そうですか?)

それから長い時間この業界から離れていましたが今はこうやって小さな脳みそをフル回転させてnoteに下手くそな日記を書いてます。

次回からは私のブランドの紹介やどうやって自分のスタイルを見つけれるのか等、私の個人的な見解を書いていこうと思います。

読んでくださいー🐻

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