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植垣康博さんの近況

連合赤軍事件から50年の昨年。

数回に渡って自宅及び経営されているお店『スナックバロン』で倒れた植垣康博さん。

病院に行くのを嫌がっていたご本人を無理やり病院に連れていき、数日後に一度目の入院。
原因は数か所の脳梗塞と、重度の糖尿病、その他… でした。

しかしその後、ご本人の意思で半ば無理やりに退院し、バロンでの復帰を試みるも再び倒れ、その後家でほぼ寝たきりとなっていました。

再び説得に向かい、地元の方にもご協力いただき、二度目の入院。
この時点で半身不随と、糖尿病により目は殆ど見えなくなっていました。
そして、ずっと拒否されていた『スナックバロン』の閉店を決めてもらいました。

その後病院から施設へ。さらに定住可能な施設へと移りました。
この間、地元の支援者の方々が動いて諸々の手続きや連絡を行って下さいました。本当にありがとうございました。

コロナ禍もおちつき、先日やっと会いに行くことができました。
部屋に案内されると、車椅子に座った植垣さんが、向こう側を向いて半身をゆすっていました。

「馬込です。お久しぶり」
「おお!久しぶり!」

目は殆ど見えないようですが、声で分かったっとたん、元気な声で迎えてくれました。
ただ以前から見られた無気力な状態は治らないようで
「こんな状態で人に会ってもしょうがない」
と。

しかし当時の話を聞くと、若干顔が引き締まって見えました。

倒れる前。
昨年の2022年はじめ、植垣さんは新聞等各媒体で連合赤軍事件についてのインタビューを間断なく受け続けました。

「連赤50年の取材で疲れたのが倒れた原因なんですかね」
「そうかもしれないね。なんともいえない」
「やっぱり記憶を何度もたどるのは疲れましたか」
「というか、何度も人と会うのが疲れた」

植垣さんを色々言う人はいるけれど、彼なりの総括を全うしたのだと思います。
いや、まだ続きますが。それでも今は一つの区切りとして「お疲れ様」と言いたいです。

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