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ブラックなコーヒーが飲めたことについて

(寝る前にちょっとだけ回想録。)
自分でも驚いた。まさか、自分でブラックコーヒーが飲めるようになるなんて。だが、さらに驚きなのは、黒いブラックのコーヒーがいきなり飲めるようになったことだ。ちょうど、寝坊して学校に遅刻しそうになってベッドから全力疾走して登校が陸上種目に変わり、ギリギリでゴール(校門)に間に合う瞬間のように。その経過を少し記録してみることにしよう。(目がしばしばシバシバしているので、誤字脱字あっても悪しからず。。)

[回想記録?(更新)]
今は昔、約半年前のこと。ふとしたきっかけで、とある本を読んでいた。その中の睡眠について書かれた箇所にはこう記されていた。

【眠気を覚ますために、ブラック・コーヒーを飲みましょう。】

今でもしばしばあることだが、その頃はタイミングが悪い時に眠くなったり、目がしばしばするような状況がしばしばあった。(今この瞬間もそう。笑)これはよろしくない。これまで「ここでは眠ってはいけない!」という状況で睡魔に負けて失敗したことや後悔した経験から「睡眠」、というよりは「人間の身体の営みは制御可能か?もし可能ならいかにして可能か?その場合、必要条件や十分条件はあるか?」といったことをぼんやりと考えるようになっていたと思う。10年前なら、こういう状況に陥った時は「睡眠」についての本を読んだり、睡魔について調べたり、つまり「眠くなる」ということやその周辺までにしか意識が向かなかったと思うが、眼科医の書いた本で「目の機能が落ちたり調子が悪くなる時は大抵、体全体のそれらも悪くなっている」というようなことを知ってからは「体全体」を意識するようになった。これは「勉強が上手く進まない時は、大抵勉強以外のことも上手くいっていない」という状況と似ているかもしれない。
とにかく、その時は「眠くなってはならぬ」と覚悟し、その際の応急処置として「ブラックコーヒーを飲んだ」のだった。その時は俗に言う「ブラックのコーヒー」を飲んでいるという意識はもちろんなく、「眠くならないようにするためにはこれを飲むしかない!」と心に誓って飲んでいたただの黒い液体という認識しかなかった。頭の中のメモリは「眠くならないために最善を尽くす」ということに大部分の容量を取られていたため、「ブラックなコーヒーは飲みたくない」「ブラックなコーヒーは苦く、その名の通りブラックである」「ブラックのコーヒーは必ずミルクと砂糖を加え、混ぜて飲む」といったことを意識する余裕はまるでなかった。それ故にブラックなコーヒーを2、3杯ホットなまま飲み干せたのだと思う。そして、机に頭を置いて仮眠をとり、10分ぐらいしてから起きて活動を再開した。すると、不思議と眠気がなくなり、本当に眠くなくなった。この人体実験は成功したが、今ではほとんど使っていない。(そのようなことを意識したり、実践する必要に迫られる状況に出くわすことが滅多になくなった。)が、後に振り返ってみると、この「ブラックなコーヒーが飲めるようになった経験」は非常に面白いものであった。これから先もこの経験がどこかで活きるときが来るのを切に願って眠りにつこう。眠(←笑と同じような使い方)
Zzz…

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