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トラブルは問題でなく、結果である。

未発射のメモをテープで頑張って繋ぎ合わせたような未成熟な文章になってしまった。もちろん「頑張って」は悪い意味で使われている。このようなトラブルだけではないと思うが、トラブルというものは問題が起こった(怒った)ことが具現したのではなく、単なる結果として露呈したにすぎない。「問題が発生した」のではなく「結果として生じた」当然の帰結と解釈すべきであり、決してトラブル(trouble)をクエスチョン(question)やプロブレム(problem)というフレームで眺めてはいけない。家庭教師を担当している子に先日雑談でそんなことを伝えた(ら、その母親から好評だったようだ)。以下がそのトラブルに見舞われたブンショウと言いたくなるような文章である。

『レトリックの記号論』(佐藤信夫著)と『ユング自伝Ⅰ・Ⅱ』がなかなか読み終わらないままひと月が過ぎようとしている。このままではまずい。本は最初のページから最後のページまでで1つの作品、あるいは出会う前から出発してカバーを見て本を手にとり、ページをめくって閉じて本棚に戻すまでで1つの生き物を感じ取るようなものであるため、途中までしか読んでいないで書評を書くという罪はどうにも犯せそうにない。さて、普段の家庭教師で担当している生徒で高3の子は某都道府県の県庁に就職先が決まったようだ。これまでの間、特に7月〜8月にはとても悩むことが多かったそうだが、ZOOMで話していたときに「そんな大変なときに先生の考え方がとても生きた」と言ってもらえた。デール・カーネギーの『人を動かす』に書かれている重要感を満たすというのはこういうことなのかと思ったが、この子には音声プロブレム、ではなくて指導を担当する子用の「音声プログラム」を聞いてもらいワーキングスキル(これまでのfacebookのどこかで書いた)を身につけてもらったからだと思う。素材を渡されて「料理の方法」を聴いて、自分で手を動かして体得したのだから100%本人の頑張りの結果であることは間違いないが、本人からすると「先生のおかげ」であるようだ。とりあえず、進路が決まってご家庭はどんなあったかいコーヒーを飲むときよりもホッとしていたようだったので、この件はよしとしよう。

今年度担当している中3の子は英語の偏差値が4月の時点では40ぐらいだったが先週(12月中旬)の指導時に模試の成績表を見たら68になっていた。先週結果の用紙が返ってきたようだが、特に何か打ち上げ花火的なお祝いの言葉を述べることもなかった。「次は偏差値75ぐらい取れるように頑張ろう」という一言を除いては。この子は今月(1月)に受験を控えているので頑張ってほしい。

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