父の日に

早川義夫さんのエッセイを読んでいて、『パパ』というお話に辿り着いた。
(あ、今日父の日だったなぁ)と。こういう事はよくあるものだけれど、なんだかとても良く当たっているおみくじを引いたような巡り合わせを感じる。
仕事終わりに父にとりあえずの電話を入れた。

『明日は早くから髪を切りに行くので』とは言えず、「治りかけの風邪をうつしたくなかったので、今日は実家には帰るのやめたの」と伝えた。
「お前の事だから、電話くれると思ってたよ」との台詞に、なんと言ったら良いのかわからなかった。
申し訳無いような、ひどく照れてしまう様な。
色んな気持ちが混じり合って言葉が続かない。明日寄るかもなんてお茶を濁して電話を切った。

実家で目覚めるとなぜか必ず父の作ったゆで卵が私にお供えされている。『パパ』は70歳。

この歳になれば親との距離や関係は十人十色だと思うのだけど(特に男親は)、近しい人間に出来ることをすれば良いのだと私は思う。
誰かにとってはお酌かもしれないし、
靴を揃える事かもしれないし、
手を合わせる事かもしれない。

慈しみとは無音なのだ。

いつか私も誰かの為にそっとゆで卵を置く時が来るのだろうか。

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