表現することは自己理解につながる

一昨日、ある成人発達理論に関するPodcastを聴いていたら「エニアグラム」という自己診断テストの話が出てきた。なにやらエニアグラムのタイプ別の成長は、成人発達(人間的な成熟)につながるらしい。
わたし自身、エニアグラムは2,3年前に一度受けたことはあったけれど、記憶も曖昧だったので久しぶりに受けてみることにした。

診断を受けてみた結果は「タイプ4のウィング5」で、"研究者寄りの芸術家"ということらしい。
ただ内容を読んでいくと、たしかに自分自身にしっくりくることがあった。

・基本的な欲求として「自分がどういう人間なのかを知りたい」と思い、自己理解や自己分析する
・「ひととして特異点がなければ、他のひとから関心や興味を持ってもらえない」という恐れがある
・4w5になると研究者寄りなのもあり、より一層自分ひとりに籠もる

など「当てはまるなぁ」と感心する一方で「よく組織で働いていけてるよね」と自分を慰めたくなった。

ただ1つ、4w5のタイプについての内容で気になったのは「4w5の方は創造的で、芸術や作品づくりに向いてます」という文章。
「いやさっき『4w5のひとは自己理解がしたい、自分が何者なのか知りたい』って言ってたけど、自己理解欲求と創作欲はどう関連するの?別にわたし自分は理解したいけど、創作はあまりしたいと感じないけど...」と思って、ChatGPTに聞いてみた。

エニアグラム4w5のタイプの人々は、しばしば自己理解と自己分析の欲求が強いとされています。これは、彼らが自己を深く探求し、自分自身の感情や思考の本質を理解することを通じて、自己の存在と人間性を認識しようとする傾向があるからです。
創作活動や表現活動は、そのような自己理解や自己分析の一環となることが多いです。なぜなら、創作活動はしばしば自分自身の内面的な経験や感情を形にする手段であり、それを通じて自分自身をより深く理解する機会を提供するからです。例えば、ある感情を芸術的に表現することは、その感情が何であり、どのように自分自身の内部世界に影響を与えているかを理解する手段となることがあります。
このため、4w5の人々は、創作活動を通じて自己理解を深め、自己分析の一部を形にすることができると考えられます。彼らの強い自己分析の欲求と創造性が結びつき、自分自身を理解し、それを他人と共有するための有用な手段となるのです。

ChatGPT

言われてみたら、たまにこうやってnoteを書きたくなるのもそうだった。

自分の内側の世界に、何かモヤモヤとした"何か"だけが存在している。
そして、そのモヤモヤを抱えたまま文章をつくり始める。
ただ、文章を書いている過程で、自分の内側にあった"何か"の輪郭が明らかになる。その発見が楽しかったりした。
それはある種の自己理解の快楽であり「あぁそうか、わたしという人間はこういうことにモヤついていたのねぇ」という知的好奇心が満たされる感覚もあった。

表現活動や創作活動の過程を通して、自分という人間が迷っていたことや考えていたことが明らかになり、自分自身の理解が進んでいた。

この1ヶ月ぐらい「つくる」と「わかる」について考えてきたけど、一番しっくりきている。
私には創作欲は1mmもない。けれど自己理解欲は溢れるほどある。
自分という人間をもっと知るために、もっと表現していきたいと思った。

いただいたサポートは、書籍代に消え、そして雨となって次のnoteになっていきます。