「つくる」という行為について

最近は「つくる」について考えている。

自分のなかにあるモヤモヤとした、悶々として"何か"がある時、それを昇華させる行為が「つくる」ということなのではないか。

あるひとにとっては、絵を描くことかもしれない。音楽をつくることかもしれない。アクセサリーをつくることかも、コードを書くことかも、文章を書くことかもしれない。
ただの趣味として捉えているかもしれないが、それはある種「エネルギーの発散行為」のように感じるし、表現活動とも言える。

だからこそ辛いのは、自分の"つくる"が決まっていないひと。
エネルギーを排出する出口が決まっていないひとだ。
文章を書いても、絵を描いても、アクセサリーをつくっても、どうも自分のエネルギーが排出しきれない。不完全燃焼を感じてしまうひと。

自分の排出口はどこだろうか?
何をつくっている時、自分は意識することなく自ずからエネルギーを排出することができるのだろうか。

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