映画「えんとつ町のプペル」を観て


☆☆この投稿は、思いっきりネタバレを含みますので、映画を観た方に読んでもらいたいなと思います。☆☆


12月25日夜。
映画「えんとつ町のプペル」を地元の映画館で観てきました。

それから数日経ちまして、その間、ぼくの心に鳴り響いてるのが

「さて、どうしよう?」

って言葉です。


映画「えんとつ町のプペル」は、えんとつ町の物語です。

って、あたりまえのことですよね。あたりまえのことなんですが、そこを、もっと深堀っていきます。ここでは、あたりまえのことを、あたりまえ、では、終わらせません。

えんとつ町の物語っていうのは

「そもそも、えんとつ町って、なんでそんなことなってんの?」

という、えんとつ町の成立から現時点までの歴史ストーリーってことです。

そして、そのえんとつ町の物語が、主人公の人生に、分厚く覆いかぶさってくるんだけれど、主人公は、その覆いかぶさってくるえんとつ町の物語を突き破って、その向こう側へ、えんとつ町のみんなで行っちゃう。

そういう物語です。

えんとつ町は、周囲を高い絶壁と海に囲まれた町でした。えんとつ町の人は、えんとつ町の中だけで暮らしていて、絶壁を超えて向こう側へ行ったり、海へ出てその先の世界へ旅立ったりしません。

というよりも、多くの人が、外の世界のことを考えない、いや、外の世界のことを考えることは、えんとつ町の住人にとっては「タブー」だったのです。

さらに、えんとつ町の上空は、町にたくさんあるえんとつから、四六時中出ている煙に覆われて、いつも夜みたいに暗い。空も見えない、だから、植物も育たないようです。

太陽の恩恵を手放して、どうやって暮らしているのかは、とりあえず考えないで楽しむファンタジーです。

主人公のルビッチは、おとうさんの物語を受け継いでました。

ルビッチのお父さんは仕立て屋で、趣味で子どもたちに紙芝居を見せていました。その紙芝居は「外の世界」の存在を示唆するものだったので、ルビッチのお父さんは異端者扱いを受けていました。

そのおとうさんは、すでにお亡くなりになってました。

ルビッチのお父さんは、煙の向こうには「星」というものがあると、ルビッチに伝えてました。ルビッチは、おとうさんの言葉を信じていました。そして、ある日えんとつ町に現れた「ゴミ人間」と出会い、ふたりは友達になります。

ルビッチには、友達がいませんでした。

おとうさんが外の世界を考える異端者だったから、町の人は、その異端者を慕う息子のルビッチも異端者として扱っていました。ルビッチは、友達よりもおとうさんを選んでいました。友達が欲しくないのではなくて、自分と友達になる人までが異端者として扱われることが嫌だけれども、それを防ぐ方法が見つけられなかったのでしょう。だから、友達はいませんでしたが、仕事仲間はいました。

そんなルビッチの前に現れた「ゴミ人間」は、異端者ではありませんが、正体不明の存在という感じでした。動いているし、意思もあり、会話もできる、だけれども、人間とは全く違う構造をした存在。実在して誰もが認識出来る、だけど、明らかに自分たちとは全く違う成り立ち方をしていることは理解できる、とても扱いづらい存在だけれど、とりあえず、ゴミで出来上がっていて、手足と頭があって会話ができるということで、ゴミ人間ということなのでしょう。

とにかく、ひょんなことから、異端者で友達のいないルビッチと、正体不明存在のゴミ人間は、出会い、ともだちになりました。どちらも、はみ出しているので、ちょうどいい感じでしたし、どこか、最初から通じ合うものがありました。

なんか、友達っていいなぁ~って思いました。
恋人もいいけれど、恋人とは違う良さが、友達にはあるなぁ~って思いました。

ルビッチとゴミ人間が友達になったところに、もうひとり現れました。
鉱山泥棒のスコップです。
彼は、ルビッチとゴミ人間に、えんとつ町の物語を伝えました。
そしてスコップは、ルビッチとゴミ人間の仲間になりました。

なんか、友達もいいけれど、仲間もいいなぁ~って思いました。

仲間はスコップだけにとどまりませんでした。

そして、ルビッチとゴミ人間と仲間たちの働きで、えんとつ町を覆っていた煙は吹き飛ばされ、満天の星空を、みんなで見たのです。

本来なら、ここ、めちゃくちゃ感動するところです。

だけれど

ぼくは

実は

固まってました


これまでの人生がフラッシュバックして

どこへも行けずに

固まってました


そして

「本番はこれからだ!」
「さて、どうしよう?」

という声が

ぐるぐる回っていました


ぼくにとってこの映画は、ぼくの映画でした。

同時に、ぼくは3歳のある出来事からずっと、この世界を覆っている煙を吹き飛ばそうとしてきてたんだと再確認もできました。

ぼくは、ずっと、ひとりだった。
ルビッチのおとうさんのような存在もいなかった。

本当にずっと、ひとりだったなと思いました。

だけど、いまの僕はひとりではありません。
最愛の人、瑠花ちゃんがいます。
そして「膨大なストーリー」を手に入れた僕は、スコップでもあります。
共に夢を追いかけている仲間もいます。

なのに僕は固まっていました。

どうしてかというと、ぼくはその時、自分から煙が出ていることに、気が付いたからです。

これまでの人生の体験の記憶の色んな所から、煙が出ていました。

その煙の正体は「挫折感」でした。

ぼくは

何度も何度もくじけてきました。
何度も何度も投げ出してきました。

だけど

何度も何度も立ち上がって、何度も何度も拾いなおしました。

そんな記憶たちから、煙が出ていました。

ぼくはそんな記憶に、丁寧に、大切に、ひとつひとつ手に取るようにしながら煙が止まるまで「ありがとう」と声をかけました。

今もまだ、煙は出ています。

この投稿も、そんな記憶への「ありがとう」のひとつです。
少しずつ煙は減っています。
煙が減っていくたびに、静かに静かに力が湧いてきます。

靈として生きる。

これは「煙を止める」という意図を言語化したものです。


Ryosuke

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