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孤独と至福の舞台袖

5月22日のダンス公演『ENTER HEAVEN』から1ヶ月が経とうとしている。

振り返ってみると、舞台は旅に似てるな、と思う。

行き先(やりたいこと)を決めて、一緒に旅する人を決めて、場所やら服やら何やら手配して、当日を迎える。本番は旅先。お客さんはそこで出会う人々。おかげさまで毎回のように来てくださる方もいるけれど、一期一会だとも思っている(実際、みんな前回とは別人になっているはず)。本番が終わると淋しいけれどホッと安心する。荷物をまとめて帰宅してお風呂に入ると、熱いお湯に溶け出す疲労感と余韻に恍惚となる。

旅行でも、帰宅後のこの瞬間に、一番幸せを感じる。でももう一つ、大好きな瞬間がある。旅に出るまさにその時、自宅の玄関を出て最寄駅から電車に乗って目的地に向かう時間だ。これから起こることを妄想しながら、一人ほくそ笑む時間こそが一番楽しいんじゃないかと、常々思っている。

舞台でいえば、出番を待つ舞台袖にあたる。そこから一歩踏み出せば何が起こるかわからない。お客さんの雰囲気、音量、照明の光量…リハーサルをしてるとはいえ、まったくの別空間。何かが起きたら瞬時に判断して対処していくしかない。暗転でまったく方向がわからなくなり、客席に突っ込んで何食わぬ顔で退場したこともあった。最後のお辞儀で一瞬意識を失って、顔をあげるのに間が空いたこともあった。今回の舞台では2回くらい(おそらく疲労で)足が止まって焦ったけれど、何とか気力で動かした。

本番は恐ろしい。それでもそこに向かってしまう。そういう自分に向き合わされるのが、舞台袖のわずかな時間だ。

本番当日は、共演者やスタッフの方々と会話しながら会場セッティング、衣装やメイクの準備、ストレッチなどをしているうちにあっという間に時間が過ぎて、サウンドチェックや照明合わせが始まり、ゲネプロ(通しリハーサル)に突入する。ゲネプロが終わる頃には開場時間が近づいていて、小道具のチェック、メイク直しを終えて一息つくと、来場されているお客さんの気配を感じる。

「時間通り開演します」と舞台監督さんに声をかけられたら、楽屋から舞台袖に向かう。声を出さず、物音を立てず、忍び込むように。並べておいた小道具や衣装小物を改めて見渡し、ステージに漏れない程度の薄暗いライトのもとで鏡を確認する。何だか秘密基地みたいだ。アナウンスが終わると会場が暗くなる。開演。

出番まではまだ時間がある。小さく静かに体を動かして、この後飛び出すステージを凝視していると、半分は舞台の世界観に入り込み、半分はどこか別の場所から自分を見ているような感覚になる。ステージ上でも準備時間でもない、その狭間の時間は、ステージ上のようにお客さんや共演者とアイコンタクトできるわけでも、準備時間のように周囲の人々と会話できるわけでもない。ただ一人で出番を待ち、今進んでいる舞台を、それを見ているお客さんを、わずかな視界で捉えて想像し、そこに飛び出す自分のイメージを膨らませて舞台と同化していく。慌ただしい一日の中で、唯一孤独に浸りきって、ステージに向かう力を溜め込む時間。土の中の種子のように、暗くて静かなところから地上に芽吹く、弾ける一瞬を待つ時間。その傍には、そんな自分をニヤニヤと見つめている、もう一人の自分もいる。やっぱりここが好きなんだね、と。

小さな頃から楽器を習っていて、人前に立つことは何度も経験してきた。でも記憶に残っているのは、ステージ上からの景色ではなくて、舞台袖から見るステージと客席だった。「次は〇〇さん。演奏する曲は〇〇です。」とアナウンスを聞いてステージに向かうその瞬間。その先はただ一生懸命なだけであまり覚えていない。そこは今もそんなに変わっていない。

本番が近づくほど、体力・技術力・表現力の至らなさに向き合わされ、何でこんなことしてるんだっけ?と自問し、次はないかもしれないという思いは常に頭の片隅に散らついている。それでも一つの舞台を終えると自然と次に向かっている。

どうしたって、好きなんだ。

これからステージで起こることへの、不安を上回る期待に満ちた瞬間が、起こったことを振り返って、その余韻に一人どっぷりと浸る瞬間が。

やっぱり旅に似ているな。

すでに次の旅の準備は始まっている。次はないとどこかで思いながらも、そんなものを無視するように、ほんの少し日々のトレーニングを強化している。

次の目的地で会えることを楽しみに。

📸準備時間

📸ステージ写真(撮影:柴田正継)

次の予定はまた改めてご案内します✨

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