ブックカフェを作りたい理由

ここが終の棲家になるだろうという予感を三度したことがある。一度目は生まれ育った逗子の町で、住んでいた実家をそのまま相続して一人暮らしするけど帰ってきて、住み続けるんだろうと思っていた。結局両親の不和により俺と母親は出ていき、離婚を進めるために家に戻ると大切にしていた漫画で溢れていた俺の心象風景そのものだった俺の部屋は、父親の手によって壊滅的に破壊の限りを尽くされていた。家は人手に渡り、予感は外れた。
二度目は仕事をしていた東京。仕事自体に不満もなく、魔物に出会って楽しい日々を送りながらこのまま過ごしていくんだろうと思っていた。友達と楽しさとちょうどいい孤独がある平凡で幸せな日常だった。この生活も俺の難病の発症で終わり、母親の住む島根に帰ることになる。誰のことも責められないが、こんな風に生んだ両親をうっすらと恨んだことはある。
三度目は恋人と一緒に暮らすために移り住んだ盛岡。病気をした恋人のために引っ越した。病気をした後だから少しでも実家に近い方が恋人もその家族も安心だろうし、俺の方が新しい環境に身を置くことに慣れているだろうという理由で俺が移り住むことにしたが、数年経ち、ざっくり言うと俺の押しつけがましさに辟易としたという理由で別れる(もっと様々な理由があるが、ここでは割愛する)ことになり、三度目の予感も外れた。

なぜこんな面白くない身の上話をしたのかというと、いままで外的要因に対して消極的な安全策を取り続けていた人生だったということを示したいからです。(不必要にポエティックなのは、筆が乗ってしまったからです)その場その場で、ある程度勝算の見込める安全策を取っていくことが自分を幸せにすると信じてきて、ある程度その通りに生きてきました。多分、自分の居場所を外的要因に依存していたからだと思います。
なので、今まで取ってこなかった『積極的で危険な策』を取ろうと思い、自分で店を作ることにしました。島根県の浜田市というところは何もないところで、その何もない場所が終の棲家になることが嫌だったのもあって人生で初めて自分の手で自分の居場所を作ってみます。
サラリーマン経験しかないし何も決まっていない机上の空論状態で、カフェはおろか飲食店のバイトもしたことないし、当然本屋で働いたこともないし、個人事業主のこともさっぱりで本当に何も知識がないので、カフェ・本屋経験のある人とか個人事業主で働いている人とか、なんかちょっとしたアイデアがある人とか、これを読んでいろいろ助けてくれる気持ちのある人は、アドバイスとかを貰えると本当に助かります。

この前の電話で背中を押してくれたえむと高井さんには本当に感謝しています(大爆死したとしても、あの時背中押したじゃん!とかは言わないので安心してください)
加えて、そのままだったら何にもしない人生だったかもしれない俺が、こんな挑戦をできるようにしてくれた◯◯、本当にありがとう。

とりあえず、カフェの店長にしては太りすぎてて説得力が無いと言われたのでダイエットしていこうと思います。現在86kg。

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