人を“いじる”というハイリスクすぎる行為

寝違えてもないのに首を痛めました。どうも、たっすです。
原因がわかりません。でも心配ご無用です。
#どないやねん


今日は賛否両論ある(?)お題についてあえて記事にし、自分の意見として言語化していきます。


自分が正解だとは思っていませんが、自分自身の整理も含めて書いていきますので一つの考えとして読んでいただけると幸いです。



人を“いじる”ってハイリスクすぎません?


まず、本日のタイトル。

僕は人を“いじる”行為はかなりリスクが高い行為だと思っています。


何がリスクが高いかって、

相手が嫌な気持ちになった時点で、それは“いじり”ではなく“いじめ”になる

からです。


この言葉は聞いたことがあるかもしれませんが、まさにその通りだと思います。



いやいや待てい!


たっす君、あなたは人をいじってないのかい!?



いいえ。

僕は息をするように人をいじり、人にいじられ生きてきました。



??????



人をいじる行為がリスクの高い行為だと分かっていながらも、日常的にいじり、いじられているのがたっすです。
#サイコパスですか


そんなたっすですが、これまでの人生で人をいじることで傷つけたことがあり、人にいじられることで傷つけられたこともあります。


全くと言っていいほど完璧人間ではない自分ですが、それでもなお、人をいじり、いじられている人間だからこそ今回は整理していこうと思います。



なぜ人はいじり、いじられるのか?


なぜそのようなリスクの高い行為を行うのか?


それは「お笑い」における“笑い”の強烈なスパイスとなり、人との距離を縮める手段の一つだからだと思っています。


いじる側といじられる側、この関係性が成り立つことでその場で笑いが生まれ、一つの笑いが起きたという共感が生まれる。

また、いじられる側が自分の弱みをさらけ出し(いわゆる自虐)、それが笑いになることで相手も踏み込んで会話ができ、距離を縮めやすくなるのではないかと思います。


恋愛における、弱みを知ることで相手のことがより魅力的に感じる「アンダードッグ効果」と同じですね。
#用語は今調べました
#恋愛苦手な人間が
#恋愛を語るなバカちんが


つまり、このいじる、いじられるの関係性が成り立つことで、相手との距離が縮めやすく、そして笑いの波が起きやすくなります。(と思っています。)




「お笑い」における人を“いじる”行為は「フィギュアスケート」における“トリプルアクセル”


僕は、人をいじる行為はフィギュアスケートの“トリプルアクセル”だと思っています。
#今のところ全く意味わからんぞ


トリプルアクセルといえば、かなり難易度の高いジャンプです。
そのジャンプをしなくても点数はもらえます。


それでも「フィギュアスケート」の演技の中でトリプルアクセルを成功させることで演技の点数が高くなり、その他の演技もより魅力的に映ります。


しかし、ほかの演技よりも失敗するリスクが伴い、一度失敗してしまうと点数も低くなりその後の演技にも影響する。


「お笑い」というステージで、人をいじる、いじられることで笑いの波が生まれもするが、失敗するリスクも高い。


どうでしょうか?
#まだまだ挽回していきますよ


ここで気を付けなければいけないのは、そもそもそのステージに立ちたくない人もいるということ。


ステージに立った上で相手が嫌な思いをするリスクもあれば、そのステージに立つこと自体が嫌なことに気づかないまま立たせているリスクもある。


「お笑い」の笑いがすべての“笑い”ではありませんからね。


このどちらか一方を相手が感じた時点で、それは「お笑い」(フィギュアスケートの演技)というステージでのいじめ(失敗)になると思っています。
#だんだんこの例えに自信がなくなってきました



だからこそ人をいじることはハイリスクな行為だと思っています。



人をいじる側の責任


僕は人をいじり、相手が嫌と感じた時点で、100%いじる側が悪だと思っています。

これはいじめにおいて、100%いじめる側が悪、という意味ではないということだけわかっていただきたいです。
#言葉むずかしいぃぃ


人をいじる側に立つ者として、その責任は負わなければならないと思っています。

その中で、相手との関係性・性格・行動・発言などを考慮し見極める必要がある。


例えば、AさんがBさんの容姿をいじり、Bさんが笑いながらツッコむ。

これはAさんとBさんの関係だからこそ成り立つ可能性があり、自分も同じようにBさんをいじってもいいとは限らない。

そしてBさんがいじることをOKしてくれたからと言って、なんでもかんでもいじっていいわけではない。

それをコミュニケーションの中で探っていき、GOをかけるまでは慎重に見極めないといけないと思っています。


ここでさらに難しいことが一つ。

いじられる側がOKかNGかは必ずしもわかるわけではないということ。

そしてNGだった場合、いじられた側はNOと言うのに勇気がいるということ。


これは僕も経験したことがあります。

一つのいじりによってその場で笑いが生まれてしまうと、それによっていじられた側が嫌な気持ちになった側は、非常にNOと言いづらい空気になります。

さらにNOと言ってしまうと、周りから冗談が通じない。周囲から煙たがられる恐れがある。と考えてしまうし、実際にそうなってしまうこともある。


人をいじる側として一番やってはいけないのは、相手が嫌な思いをしたときに、「空気が読めない」「冗談が通じない」などと相手のせいにすることだと思っています。


ここが一番難しいポイントだと思います。


実際にいじる側として失敗したこともあります。

学生時代は友達をキレさせたこともありますし、社会人になった今でも、見極めたつもりでも一線を越えてしまうことがありました。

間違いなく100%こちらが悪いです。


言い方が大げさかもしれませんが、その罪を背負って生きていかなければならないと思っています。



ではいじられる側(いじられてもいいよという人)はどうする?


いじられる側は相手に説明書を渡すことが重要なのではないかと思います。


例えば僕であれば、自分で今「ニート」であることを自虐ネタのように発信する。


それによって、相手は僕がニートであることに気を遣わずにいじりやすくなり、それにツッコむという関係性が生まれる。
#これ自分で営業妨害してません


誰しもがいじられたいわけではないからこそ、いじられる側はいじってもいいですよ?という説明書を渡すことが人間関係構築につながるのではないかと思います。


第三者が何を言おうが、いじる、いじられる側の関係だけは良好であることが重要なのではないでしょうか?
#なんかビジネス書みたいな雰囲気になってきてませんか
#雰囲気だけね



ラジオやSNSを通してさらに感じた「伝える」難しさ


ラジオは音声、SNSは文章や写真で自分を届けますよね。

特に、ラジオ番組を開設して感じたことは、音声だと自分が伝わっているだあろうと思った10%ぐらいしか伝わっていないということ。

僕が発信しているラジオ番組はかなり特殊なんですが、よく動き、踊り、叫んでいる番組なんです。
#何そのラジオこわいんですけど

さらにこれは僕自身の問題ですが、発言よりも顔の表情や動きで自分がどういう感情かを伝えることが多いです。
#ラジオやめてまえ


自分がどれだけ冗談っぽく話していても、それは音声だけでは全然伝わっていないことを知りました。


だからこそ可能な限り、ラジオでは声で、SNSでは文章で自分を表現しないといけないなぁと思っています。
#思っているだけで何も変わっていないかもしれない


自分の表現が100%伝わっていないと感じるのと同じように、相手のこともラジオやSNS上で100%知った気になってはいけない。


その中で慎重に見極めたうえで踏み込まなければならない。


僕はそう思います。



まとめ


長々と書いてきましたが、自分の意見が100%正しいとは思いませんし、考えが変わるかもしれないです。

偉そうに考えを書いてきましたが、100%その意見に沿った行動ができているかもわかりません。

人をいじる行為をしているイチ人間として、自分が知らぬ間に誰かを傷つけているかもしれない。


実際にこれまで人を傷つけたことがある人間として、あまり大きなことは言えません。


それでも最大限相手のことを配慮しながら「お笑い」を届けることができたらいいなと考えている今日この頃です。


そういう世界で生きているお笑い芸人さんはやはりリスペクトです。


読み返してみると、「思います」が多すぎてこれ文章として大丈夫か?と思っています。
#また思いますかい



なんか自分の営業妨害をしている気がしたので消すかもしれません(笑)



それではまたあしたぁぁ!

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