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人生で最も後悔した出来事。それはバレー部での1つの決断。
最近遅すぎる自己分析をしています。たっすです。
最も後悔した出来事、、みなさんは思い浮かびますか?
僕は自己分析をする中で「あぁ、確実にこれやな」と思う後悔が一つありました。
それは高校1年、バレーボール部での1つの決断です。
高校1年、バレー部での決断
高校に入学し、未経験ながらバレー部に入部しました。
入部したバレー部、なかなか強かったんです。
どれくらい強いかと言うとワンピースの王下七武海、ゲッコーモリアぐらい強かったです。
#王下七武海の中やと1番下レベル
#ゲッコーモリアにあやまれ
#ほんでわかりにくいわ
そして同い年のバレー部にスポーツ推薦(既にバレーめちゃめちゃうまいメンバー)が3人いました。
これは当時歴代最多人数で、3人とも1年もしくは2年からレギュラーになるぐらい上手でした。
ここで、バレーボールを簡単に説明すると、レギュラーは基本7名、コート内では6名でプレーします。
そして得点ごとに時計回りにぐるぐる回ります。
図の左側3名は前衛(点取る人)、右側3名は後衛(基本レシーブする人)です。
・セッター1名(トスをあげる人、点取る人のアシストするよ)
・アタッカー
レフト2名(点取る人、レシーブもするよ)
ライト1名(点取る人、レシーブもするよ)
センター2名(点取る人、後衛になるとリベロと交代するよ)
・レシーバー
リベロ1名(ずっとレシーブする人、センターが後衛に来た時に交代するよ)
スポーツ推薦の3人のポジションは、それぞれレフト、ライト、リベロでした。
特に同期のリベロは(たっす主観で)全国レベルの技術とカリスマ性を持った人物で、1年時からレギュラーでした。
そして忘れてはいけないのが高校入学当時のたっすの身長、、163cm。
#アタックできないよパトラッシュ
入学当時は身長が伸びることもわからなかったので、アタック練習に参加できずひたすらレシーブ練習をしていました。
持ち前の器用貧乏さで、レシーブ力は初心者ながら同期のリベロの次にうまいんじゃね?と言われるようになったたっす。
しかし、レシーブ専門のポジションでレギュラーを掴むことができるのはリベロの1名のみ。
同期のリベロには技術で近づけても絶対的に追いつけない距離がありました。
コートでの存在感、統率力、ハートの強さ
自チーム、そして他チーム全員が認めるカリスマ性を持っていました。
“ならば自分がレギュラーになるには別のポジションで勝ち取るしかない!”
そんな中転機が訪れました。
高校1年の9月、急遽顧問の先生に呼ばれ“セッター”の練習をしました。
セッターは低身長でも務まるポジションで(高身長に越したことはないよ)、元女子バレー日本代表の竹下選手が代表的です。
同期の中で確実にセッターになれる人物はまだいない、そしてリベロにはなれない。ここしかない!と当時強く感じたのを覚えています。
ただ、セッターというポジション、試合ももちろんですが練習でも最もしんどいポジションなんです。
#多分どこのチームも一緒やと思います
1年の時も、2年の時もキャプテンはセッターで、誰よりもしんどい思いをしていたのを目の当たりにしていました。
当時からキャプテンの姿を見て、その未来を想像した時に悩みました。
そしてたっすは
セッターにはならなかった。
その時高校1年ながら、2つの道がはっきり見えていたのを覚えています。
セッターにならずにレギュラーになれない道
しんどい思いをしてもセッターとしてチームを率いている道
当時先生は冗談半分でセッターの練習をさせたと思いますが、強い意志を持って覚悟を決めておけば間違いなくセッターとして練習させてもらえたでしょう。
しんどい未来に目を背けましたが、その後も自分なりに努力をしてきました。
サーブ、レシーブを磨き2年からスーパーサブ(救世主的な存在?)のポジションで毎セット出場する貴重な役割を担っていました。
それでも3年になってもポジションは変わらないまま、毎試合、毎セット大事な場面で出てくる貴重な存在ではありながらも、常にコートにいることはできませんでした。
ありがたいことに先輩や後輩、そして同期に慕われ、評価していただき、キャプテンを決める2年の夏、選手からは満場一致でたっすを推薦してもらいました。
しかし、キャプテン、副キャプテンのどちらにもなれませんでした。
悔しかったです。
何より悔しかったのは、同世代で才能を持った同期が集まりながらも、そのメンバーを100%活かすことができるセッターがいなかったこと。
悲しい現実ですが、3年になった頃には顧問の先生は次の世代の育成に目を向けていました。
僕らの代では全国は目指せないと判断されたんですね。
結果的に、例年と同じ成績を収めることができましたが、もっと自分たちで高みを目指すことができたと思います。確実に。
自分が死にものぐるいで覚悟を決めて練習し、キャプテンになり、セッターになり、チーム全員を率いていた未来。
その未来が見えていながらもしんどいことに目を背けた自分に、逃げた自分に、今でも、今でも涙が出るほど腹が立ちます。
それでもこの経験があったからこそ得られたこともあります。
その場での決断が大きな後悔を生むということを知ったこの経験は、それだけで貴重な経験でした。
一瞬で過ぎ去るチャンスをその瞬間に決断し、チャンスをものにできるかどうか、その大切さを学ぶことができました。
そして控え選手の気持ち。
小学、中学と野球、サッカーをしてきてどちらもレギュラーでしたが、控え選手の気持ちはわかっているつもりでも全くわかっていませんでした。
コートに立ちたくても立てない現実、それでもチームのために応援し、貢献する姿勢。
実際にその立場になることで、同じ境遇の人の気持ちを可能な限り知ることができるんやと学びました。
自己分析をすることで、見て見ぬふりをしていた自分の過去を思い出すことができました。
26歳。
自分を知るには遅いかもしれません。
それでも今、過去と向き合い、自分に対する理解を深めることが何よりも最優先しなければいけない行動だと思っています。
“その時の失敗も成功まで続けてしまえば、あの時の失敗が必要であったことを知る” by西野亮廣
この経験と得られた学びは必ず未来に活かしますよ。
たっすですから。
#西野さんの言葉を引用しても
#スラムダンクの名言を引用しても
#根本がだせぇんじゃぁ
#それはノブなんじゃぁ
#自分の言葉はないんかい
やばい。真面目すぎた。。
明日はふざけた話で帳尻を合わせようかと思います。
それではまた明日。
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