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麗子像のこと

麗子像の実物を初めて目にした時、本気で驚いた。彼女がとても魅力的に見えたからだ。驚いて、しばし絵の前に釘付けになった。

実は、それまで何度も、美術の教科書などで目にする度に、不気味な絵だなぁと思っていた。なぜこの絵がいつも教科書に載っているのか、まったく意味がわからなかった。何の陰謀だろうと思っていた。教科書的な美術の世界に、自分は縁がないと思い込んだのには、麗子像以外にもいくつかの作品を理解できなかったことはあるけれど、特にこの作品はダメだった。

私の育った家庭はアート的なものすべてに縁がなくて、ある程度大人になるまで美術館を訪れたことは一度もなかった。美術は教科書のツルツルのコート紙に高くない解像度で印刷された作品と、数行の解説がすべてだった。絵…自分には理解できないもの、という連合が、私の頭の中にはしっかりとできあがっていた。

麗子像の実物を観る少し前から、私は美術館に足を運ぶようになっていた。ある人に誘われて、出光美術館へ長谷川等伯の松林図屏風を観に行ったのがきっかけだった。屏風の中の松林から、ほんとうに微かに音がするような気がした。

松林図屏風を観たとき、自分は絵というものを観たことがなかったのだ、と私は理解した。既に、30歳を過ぎていた。

今では、東京駅で大阪へ帰る新幹線に乗り変える時のさほど長くない待ち時間に、八重洲口から徒歩数分で行けるブリヂストン美術館へと向かうほど、私は美術館が好きだ。

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