消化することの昇華

 今は凄く色々なことがあふれかえっている。食べ物、娯楽、多くは情報。そして、溢れすぎて個性が消えつつある。
 そこに現われたのが、消化の昇華だ(ギャグじゃないよ)
 提供者⇒消費者。で終わるものを、提供者⇒昇華した消費⇒更にそれを消費する形が出来上がりつつある。もう少し古くからの分かり易いものいうなら食レポなのかもしれない。興味のある人は、それを見てそのコンテンツを消化しに行く。
 ただこれは少し話が違い、消費の仕方を分析していくものだ。
 これを書くに至ったものだが、アニメの解説は、それを如実に表していると思う。
  提供側の意図を汲み取り、それを解説する。そしてその解説を見て、更なる消化が発生する。この解説においては、答えが一つではない・・・というよりは、作る側も見る側も勝手にやっているのだから、答えなど無い。というほうが正しい。こういったものが受けつつあるのはいいことだと思う。日本人は、絶対解を欲しがりすぎる。・・・故にソーシャルゲームが流行るんだろうが・・・これは話が脱線するのでやめる。
 ゲームの実況もそうだ、プレイスタイルやルートなどを公開してそれを見てもらう。縛りプレイだったり一人旅だったり。

 野球やバスケットなど、一般的なスポーツは視覚的に分かり易い(ゴールに入れば得点)そこに至る細かい技術などは、正直素人にはよくわからないと思う。これがEスポーツやらゲーム実況やらアニメになってくると、前提の約束が非常に多くなる。わかる人しか楽しめないのだ。

 故に流行らないのかもしれないが、今はそういう時代なんだと思う。細分化されて、自分のわかる畑で過ごしてください。っていう。


 これからは付加価値といわれていたが、言われていたときとは違う付加の仕方で問われていく。そんな気がする。物自体と、付随する物や事象に価値を見出していくのではないだろうか。

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