見出し画像

私たちは問われまくられている。

チャットGPTの話とか
飲食店の迷惑動画のSNS拡散とか
ここ最近、私たちのモラルが問われている。
問われまくられている。

それって。

自己顕示欲 vs モラル

とか

承認欲求 vs モラル

とかなのかな。
大変だな。そこに囚われてしまうというのは。

***

こういう時、思い出すのは友達の今は亡きお婆ちゃんの話。大正生まれのお婆ちゃんは、私がちょっと小洒落た手土産を持って遊びに行くとすごく喜んでくれた。友人曰く「年寄りだからって、最中とか持ってくるのはお門違いなのよっ。その点、この見たことのないお菓子、美味しいわね」ってニコニコしてくれていたそう。

3.11の時もテレビで流れるニュースに不安を募らせていたら「テレビはいいから、とにかくまずは腹ごしらえしなさい」と、友達と電話している横でビシッと言ってる声が聞こえて何だか安心できたっけ。

でも、そんなお婆ちゃんはTVのグルメ番組が大嫌いで、友人がうっかりお婆ちゃんがいる前でグルメ番組を観ていると「人様が食べている様子を眺めるなんて卑しいからTVを消しなさい」と怒られてしまったそう。あの頃、私たちは30歳くらい。時代はグルメ番組全盛期といってもいい時代。だからこそ「えー、そんなに卑しい?」なんて言いながら、怒られる意味がよくわからなかった。

でも。
モラルを問われまくられる令和5年の今、何となく友達のお婆ちゃんが言いたかったことがわかるような気がする。そして今、よくも悪くもそんなことを言ってくれるお年寄りがなかなかいらっしゃらないことも肌で感じる。

友人から、そんなお婆ちゃんのお話しを聞くことができなくなって久しいことをちょっと悲しいなと思う夜。

きっと私たちは知らないことだらけなんだろう。その前提無しでモラルを問われても、きっと何の解決にもならないのだろうな。

というか。
「モラル」だけでなく「“無知”という知性」も問われてるのかも。ね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?