旅4日目。最終日。磐船神社
旅4日目。最終日は和歌山から大阪・交野市の『磐船神社』に向かいました。
『磐船神社』は、ニギハヤヒノミコトを祀る全国でも数少ない神社。レアでコアな神社です。
それもそのはず、実は熊野速玉大社の御祭神に“ニギハヤヒノミコト”のお名前はありません。本当に隠された、ミステリアスな神さま、それがニギハヤヒノミコトです。
この隠され具合は縄文系の神さまに多い傾向があるのですが、ニギハヤヒノミコトのその辺のミステリアスっぷりについては『ニギハヤヒと先代旧事本紀』を読んだことでスッキリできたので、縄文系の神さまが気になる方はぜひ読まれてみると面白いと思います。回し者じゃないですけど笑笑。
そんなわけで。4日目の記録です。
昨日のnoteにも書きましたが、私の今回の『ニギハヤヒノミコト旅』の最初の目的地はこの『磐船神社』だったんです。
でも伊勢入り→熊野入りが1番流れ的にスムーズだということで、大阪の『磐船神社』は最終日になりました。
和歌山は熊野三山や高野山、熊野古道など「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に認定されたことで、ずいぶん交通が便利になりましたが、それでもやっぱり和歌山から大阪の交野市に向かう移動は楽なものではありません。
熊野本宮に寄って、奈良を抜けて『磐船神社』に行くルートと、和歌山の海沿いの高速を爆走し、大阪入りして交野市に向かうルート、地図を見た限りでは奈良を抜けるルートの方が距離が短く見えたのですが、何せ山道。実際、奈良ルートの距離は195キロで、高速ルートの250キロより50キロほど短いのですが、時間は奈良ルートは4時間ほどで、高速ルートは3時間。
ということで。
和歌山を海沿いぐるりと通り高速ルートで向かいました。高速は順調にナビ通りに進み、磐船神社に到着。
ここも巨岩。空から飛来した磐船が着陸して、神さまが降臨した地。神倉よりもより船っぽい、船首のようなフォルムの巨岩。
でも、この場所はかなり古くから崇敬を集めていたものの、江戸時代半ばの相次ぐ天災などなんやかんやで衰退の一途を辿り、いっときはこの磐座しかない有様にまでなったとか。
その後、昭和に入り、社殿が整えられ今に至っているけれど、衰退した頃のエネルギーもまだ残り香のように残っているような、良くも悪くも蘇我馬子との戦いに敗れた「物部氏」とともに封じられたタイムカプセルのようなエネルギーが感じられる場所でした。
「ニギハヤヒと先代旧事本紀」を読んでいなかったら、この場の意味がよくわからなかったかもしれません。でも、読み込んでいたおかげで、なんだかすごくこの場所を堪能することができました。
お参りし、私の「ニギハヤヒノミコト旅」は終了。
この旅のラストがこの場所で、本当によかった。神倉だけでも磐船だけでもダメだったんだなぁとしみじみ。
…というわけで。駆け足ではありますが、私の「ニギハヤヒノミコト旅」はおしまい。私のみた夢から始まった長い旅の顛末にお付き合い頂き、ありがとうございました。
旅の前日、震度6強もの地震があり東北新幹線は脱線し、旅の前半には伊勢から和歌山への道は土砂降りで前が見えなくなるほどの豪雨だったり、ロシアによるウクライナ侵攻は日々深刻さを増す中で、この旅にどんな意味があって、どんなことになるのか不安しかなかったけれど。
旅のあちこちで見せられたのは「平和」というキーワード。
そうか。そうだよなぁ。
改めて平和を祈っていきたいとこの旅で思いました。
熊野速玉大社では「熊野速玉大神=イザナギノミコト」が主神、その摂社となる神倉神社では「高倉下命(たかくらじのみこと)」(熊野速玉大社では第五殿の御祭神)でニギハヤヒノミコトとは直接関係があるわけではないけれど、磐船神社でさえ「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」と長い長い名前で祀られている神さまに少しでも近づくことができてよかったです。
終わってみれば、すべて必然。
大満足の旅でした。
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