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「好きなものを好きって言える事」

自分は所謂「オタク」と呼ばれる存在だと思う。まぁ「オタク」の定義とは何だと言われたら一から紐解いていくのは面倒くさくなるが。今回は「アニメ・ゲーム等のサブカルチャーといわれるコンテンツに深く興味・関心があり、それらの知識に関してよく理解している。」
というのを基準として話を進めて行きたい。

自分がオタクであるという自覚を持ったのは中学3年生頃であり、その時期に本格的に深夜アニメを視聴し始め、「あ、俺オタクになったんやな」という感じである。(当時の深夜アニメは「けいおん」など社会現象を巻き起こした作品がバチバチに出てきた時期でもある。)

今ではどこの学校にもオタクと言われるクラスメイトはいるであろうが、自分が中学生の頃、というか自分の中学校では、平成中期でもある世の中で、卒業式に特攻服を着ていく様な生徒や、トイレを横切ればタバコと香水の匂いがプンプンさせるような比較的治安の悪い学校であり、自分がオタクであると公言するようならば、気持ち悪がられて差別を食らうような風習があった。

そもそも自分は中学生時代、友達が誰一人おらず、肩身が狭く暗い学校生活を過ごしていたので、アニメについて語り合いたくともそんな友達もいないし、そんな話をして、ヤンキー達にバレるようであれば迫害を食らうため、所謂オタバレ(オタクである事を隠しててバレる事)はしなかった。

そんな友達がいない自分でも、やっぱり自分が好きな事を誰かと共有したいとは心のどこかで思っていたし、それがきっかけで友達が出来るチャンスもあったのではなかっただろうかと、今になって思ったりしている。しかし、オタクを迫害する風潮は当時の自分にとってとても恐怖だった。

そんなこんなで貴重な中学生時代は暗黒時代と化し、特にヤンキーなどに被害を食らうことも友達と語り合うこともなく卒業できた。

次は高校へ進学となり、流石に高校生になったら友達ぐらい出来るだろう。そしてオタク仲間を作るぞと意気込んでいた。

結果としては表面上のオタク仲間なら出来た。
どういう事かというと、この当時、前に記事にも書いた「アイドルマスターシンデレラガールズ」のソーシャルゲームのサービスが開始され、このゲームにどっぷりと浸かり、所謂「美少女ゲー」といわれるコンテンツを好む様になったのだ。

表面上という表現というのは、例えば当時の自分でいうなら「遊戯王」「真 女神転生」といったゲームコンテンツではあるが、そこまで美少女を売りにはしていないコンテンツで話は膨らむものの、アイマス等のコンテンツでは盛り上がらなかったということだ。

原因としては当時の友人はそういった美少女ゲームコンテンツを全くやらない人であったため、「あ、これ俺がギャルゲーとか好きやねんとかいったらアカンやつかも」と中学生時代のトラウマが身に染み付いていたため自分はそこまでカミングアウトしなかった。

なにより、高校生になってもある程度はオタクっぽいクラスメイトはよく見かける様になったが、それでも「美少女系アニメを好むオタク」というのにどこか白い目でみる風潮はあった。

高校時代を振り返ると、確かに中学生時代より自分の好きな事を話せる友人はできたものの、まだ臆病になっている自分がいて完全に自分の欲求は満たされなかったそんな高校生活だった。

そして大学生となっていちびって「大学デビューやっ!」と言い、似合もしないのに髪の毛を染めた自分ではあったが、結果的に大学デビューは失敗してしまった。
入学以来約一ヶ月たっても友達は出来ず、いくら髪を染めても、自身に染み付いた陰キャ魂は拭えないのだ。

しかし、そんな自分にも転機は訪れる。
大学入学から約一ヶ月半ぐらい経った時期に、
交友会みたいな授業があり、ざっくりとした内容としては、全く自分と性格やタイプの違う人達とグループになり、色々ディスカッションしていき、色んなものの見方を見つけようと言ったものだ。

しかし、そんな事は名ばかりで大方のグループは「絶対コイツら仲ええ奴らで固めたやろ」というような調子で、自分は余り物枠になってしまい、結果、余り物同士が集まるグループに加わった。

ディスカッションをする前に、自分で名札を作り、そこに好きなものや趣味を書くようにといわれ、好きなゲームとして「バイオハザード」と書いておいた。
これが自分の運命を変える出来事だった。

とりあえず最初は名札を見てそこから話題を作れと陰キャには鬼のような事を言われ、黙りこくっていると、同じグループの男の子から、「キミ、バイオハザード好きなん?」と声をかけてくれた。この彼こそが今も付き合いのある自分の親友であった。
そこから話が弾み、黙りこくるようなこともなく、案外まともなディスカッションとなった。

昼休み、食堂の端っこで食事をしていると彼がやって来て一緒に食事をする事になった。
そこから色々話している中で、「他に何かアニメとか好きなヤツとかあるの?」と聞かれた。
自分はその時、中学生時代のトラウマを思い出しながらも、「ここで言わなきゃ後悔するかも…」と思い、勇気を振り絞り、「アイマス好きやねん」と言った。
「うわ〜、絶対キモがられるやんっ!!」と身構えていると、意外な答えが返ってくる。
「あ、俺もアイマスめっちゃ好きやねんっ!!」



この言葉に凄く救われた。

本人からしたらただ自分も好きだという返答でしかないが、自分にとっては自分を初めて認めて貰えたような気がした。
そこから自分が今まで念願であった推しの事で話が弾み、中学時代からの呪縛から解放された。

この経験を通じて改めて好きな事を言えるというのは素晴らしいことだと思う。そこから色んな人と繋がれる機会にもなるし、その事を言い続ける事で自分の将来を変える出来事があるかもしれない。何より好きな事を言い合える仲間がいる事がとてもありがたい事だ。

そして、反対に好きな事を言えないことは結構辛い。元々自分は神経質な性格もあるが、暗黒時代のあの時期は「またつまらない時間を過ごすのか」「昼休みどうやり過ごそう」など憂鬱で仕方なかった。そのため、体調にも影響を及ぼし、胃痛、立ちくらみなどをよく引き起こしたものだ。
友達がいない→好きな事を言える人がいない環境というのは人によってそれほどまでに精神的にくるものなのだ。

ただ、好きな事を伝える上でやってはいけないことは、それを押し付ける事だ。さして興味の無い人にそれをしつこいほどぶつけても苦痛に感じるだろう。だからといってその好きを絶対に全否定したりしてもいけない。

自分が好きな事を迷惑がない範囲で伝え、そして、それを受け取る側も全部理解はしなくていいが、蔑んだり、差別するような悲しい人間が生まれない世の中になって欲しいと思う。

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