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味見のしすぎには注意です


唐突ですが、私は「失敗」することが怖いです。そのため普段から「失敗」を避けるために何事にも注意や確認を怠らないように生きています。しかし先日、「失敗」しないために取った行動が「大失敗」に発展した出来事がありましたので、みなさんに共有したく思い綴っております(笑)


 本当につい先日、私は彼氏とピクニックに行くためお弁当を作った。普段実家暮らしという理由で、料理を作る事は滅多にないため、こういった機会は私にとって「家庭的でできた女」をアピールするのに絶好のチャンスなのである。腕がなった。

ピクニックは県を超えてとある大きな公園にドライブがてら行く予定だったため、当日は朝7時からお弁当作りが始まった。一品一品順調に作り上げ、自分的には最も難易度が高かった具沢山太巻きも、なんとかうまく巻き上げ完成。残る作業はお弁当箱にバランスを考えながら見栄えよく詰めることだけだった。

私は普段料理をしないため、味付けに感覚も自信もない。しかしだからといって失敗はしたくないので、いつも一品作っては味見をし、人様に食べさせられるものなのかを確認している。
今日も例外なく一品一品食べて味の確認をした。   

お弁当の隙間も徐々になくなり残すは卵焼きを入れるだけ。

私は以前彼のお家で頂いた紅生姜味の卵焼きに感銘を受け、同じものを作ってみた。断面が綺麗な赤色で、それを二つ綺麗にのせて完璧な仕上がりになるはずだった。

あれ、足りない。
紅生姜の卵焼きが、切れ端二つになっていた。

私はここでようやく気づいた、いや気づいてしまった、全部私が味見のために食べてしまったことに。思えば、今日初めて作った具の卵焼きには自信がなかったため、一切れ食べてはちょっと味が薄かったかなぁとか、ケチャップつけた方がいいかなぁとたくさん悩み、念入りすぎる確認のために、お弁当に詰める卵焼きがなくなってしまったのである。

結局、家を出発する時間が迫っていたため、切れ端をお弁当に詰め、後でいっぱい言い訳をすることになったのでありました(涙)


みなさんは同じ体験、ありますでしょうか
「失敗」しないために入念に味見した結果、足りなくなるという「大失敗」です。自分で文字に起こしていてとても恥ずかしいです。(笑)


 ところで、心配性な方っていますよね、私も間違いなく極度の心配性なんです。それがこの卵焼き事件を引き起こしたのですが(笑)なぜ私はこんなにも「失敗」に対して敏感で、心配性なのかちょっと考えてみたんです。この先ずっと「失敗」に怯えて生きるのも、「失敗」を避けるためにやりすぎた注意や確認をし続けることも、正直疲れてしまいそうだと思ったからです。そして少し考えてみた結果、言葉にするのは難しいので一つの木に例えてお話ししようと思います。
この木の名前を「心配性の木」と名付けますね、すいませんそのままで(笑)この木が生える場所は私たち人間の心の中です。

人生で「失敗」しない人なんて絶対に、いないじゃないですか。ということは、この心配性の木というのは多分誰の心の中にもあると思うんです。じゃあこの木の成長過程は一体何なんでしょうか、あくまで私の見解です。
 私が思うには、「失敗」を想定して過度までな注意や確認に神経を尖らせてしまうほど、この木は根を強く張り、自分を追い込むことでプレッシャーという名の水を撒き、やがて心配・不安という実を実らせてしまうのではないかという具合です。つまり、頑張りすぎるほど心配なことが増え、気づけば伐採しようにも難しいほどの「心配性の木」に成長していってしまうのです。だからといって頑張ることをやめてしまえば生きている意味をなくすように感じたり、注意や確認をやめてミスが増えてしまうなんてことは絶対に避けたいですよね、、むーやっぱり人間って難しい、

私のこの変な話、何か伝わるものがありますでしょうか、例によって心配性なのでとても不安です(笑)もし少しでもうんうんって思っていただけていたらとても嬉しく思います。私はきっとこれからも心配性だし、たくさん注意も確認もして生きていくことになると思います。しかし今日からは、自分をすり減らしてまで頑張りすぎないこと、時には流れや感覚に身を任せてみるということも実践していきたいと思います。誰もが生えてる木と思えばそれだけで、気が楽だし上手く付き合っていけそうだなぁと、、

ですのでみなさん!くれぐれも、味見のしすぎには注意です!(笑)
最後まで読んでいただいた方がいらっしゃいましたら、心から、ありがとうございます

#だって美味しかったんだもん #切れ端も十分美味しかった#またリベンジしよっと


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