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これは絶対に、文学です

怒りも文字にすれば文学と耳にしたので、誰かに話して愚痴となる前に、文字に起こします。
愚痴じゃないですからね、文から学ぶ「文学」ですからね!



私はスーパーでレジ打ちのバイトをしている。今やほとんどのスーパーで会計は無人化し、商品をスキャンするくらいだからとても楽そう、そう思って一年前から働いている。
 商品のスキャンが終わったらお客様は会計機に移動するがその間、私の手元に残された荷物は本来、会計機横の荷物台に置き、それをお客様が自身のタイミングでカートに乗せるなり荷造り台に乗せるなりするのが会計の一連の流れだ。ここまでで一つ、レジ打ちをしている側の人間である私は、いつも困惑すること、いや困惑を通り越して憤りを感じることがある。
それは、重たい荷物を、自分が労力を削らないために、私達に乗せさせる人がいることだ。

体の曲がった高齢者や妊婦さん、いわゆる電車で優先席に座るような方々には、言われずとも荷物をカートに乗せるし、荷物台まで運ぶこともする、むしろ出来ることがあるなら最大限、力になりたい。しかしそういう人に限って人の手を借りることに申し訳なさを感じている。一方で、見るからに健康な人や若い人、2リットルのペットボトルや5キロのお米を購入している人に限って不思議なことに、見知らぬ私に、いや見知らぬ私だからこそか、それはもう当たり前のようにカートを差し出し、ここに置けとでも言うように待機してまっているのである。

「人を想って生きる」ってなかなか、難しいことなんだなと痛感した。自分も「人」だしまわりもみんな同じ「人」なのに、それが自分の知人か他人かの違いでめっきり態度が変わる人が、悲しいことにこの世の中には多くいる。
スーパーでの体験談だけでいえば、そもそもカートに乗せるまでがレジの仕事だと思ってる人も少なからずいるだろう。そのため私が一人でプンプンしたって損をするのは私だけだし、そのうち耐えきれなくなったらお店の上の人に相談し、張り紙を貼って注意を促すことや、最悪辞めることだってできる。だから特別深刻な話ではないのですが^^; ただ、ほんのちょこっとだけですよ?むかっとしてたので文にして何かしら学びたかったんです(必死)


あらゆるコミュニティを生きていると、嫌なことを言われたりされたりする事がある。そんな時、私はしてる側の注意も大切であるが、されてる側を守ることが一番大切だと考える。人間って複雑で、本当に助けを求めている人ほど自分一人で抱え込む傾向があるように思うからだ。
 
 人は自分が思う以上に自分勝手であることを日々痛感するが、だからこそ自分は人を想って生きることができるようにしたい。そして、自分のこの体験を生かしてこれからの外食や買い物などで、同じように働いている方々に敬意を払いたい。


文に起こすことで学べることがあったので、これは正真正銘「文学」です!(笑)
最後まで読んでいただいた方がいらっしゃいましたら、心からありがとうございます。
#あなたの重いは私も重い #人を想って生きれるようになりたい#バイト頑張るぞ

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