進路が決められない、そんな時に役立つoneday講座

こんなポストをしました。

私自身、中学生の時も高校生の時も進路が決められないこどもでした。

私は低所得家庭に生まれ育ちました。

私の母は「娘(私)にお金の苦労ばかりな人生を歩ませてはいけない。けれど実際問題うちは低所得家庭。娘(私)は高収入な仕事について幸せに暮らしてほしい」という思いが強い人でした。

母も低所得家庭育ちでしたが、母の兄弟は勉強が良くできる人が多く、塾にも行かず現役で国公立大学の医学部に入学、そのまま医師になった人までいたので私には医師になってほしかったようです。

そして私が赤ちゃんの頃から「お医者さん素敵、かっこいいね、お医者さんすごいね」と医師に対する憧れを抱かせようとしました。

幼稚園くらいまでは母の思う通りに私は将来の夢を聞かれたら「お医者さんになる」と答えていました。

けれど残念ながら私の本心は医師という職業にベクトルが向いていなかったようで、小学生あたりで急に方向性を見失います。

母の「医師になって、高収入でとにかくお金に苦労しない生活をしてほしい」という願いに埋もれてしまい、自分の本心が分からなくなったのです。

また低所得家庭ということでとにかく様々な可能性を閉ざされ、欲求が叶えられなかったりし続けた生活の中で私は小学生という割と早い段階で生きる意味を見失います。

勉強は人並みにはできましたが、興味がなかったので成績はあまりふるいませんでした。
勉強に才能がなかったのでしょう。
ただ、私は人並み外れた運動音痴でもあり、母は「この子が羽ばたくには勉強しかない」と思い込んでいました。
なので「勉強するしか現状打破する方法が無いのに!甘えないでちゃんとやりなさい、高校も大学も国公立以外通えないのにそんなことでどうするの!?」と叱られてばかりでいよいよどうしたらいか分からなくなります。

そんな中、私は中学生の時の三者面談で希望高校を出さないといけないと言われフリーズします。

社会に出たこともなく、自分の本心を見失った15歳の私。
小さい頃から「お金がないから」と飴玉1つさえもねだることができなかった私。
習い事や塾なんて別世界の話な私。
そんな私には「国公立以外の進学は無理、ある程度以上のレベルの高校じゃないと(高収入な仕事につくための進学先がしぼられすぎるので)行く意味がない、浪人は不可」と常に圧がかかっています。

残念ながら私にはそれを受け入れる器と学力がありませんでした。

「お前は将来何になりたいんだ?」と当時の中学の担任から聞かれて「ない」と言ったのを覚えています。

そんな中私はとある高校に行きたいと思いました。

偏差値65くらいで家から通える公立高校。
中学3年の夏の模試ではB判定を出していたので母も「そこならいい」と言っていた高校です。

けれど最終三者面談で担任から「1つランクを下げた方がいい」と言われたのです。

私は「やっと見つけた行先(高校)でさえも受験さえもできないのか」とモチベが下がり、親からも「しっかり勉強しておかないから」と叱られ、結局国公立高校は1ランク下げたのにも関わらず不合格でした。
滑り止めで成績優秀者には授業料免除制度がある私立高校を受けていて、授業料半額免除に認定され、特進クラスに合格していたのでそこに行くことになりました。
母からは「全免じゃないなんて!」と叱られましたが(笑)
(実際、半免でギリギリ出せる金額だったらしい)

数年後、中学の時の担任に直接「お前にランク下げさせて悪かった。多分あのまま狙わせていたらモチベも高いままでいけて合格したかもしれない。けど親御さんの強い希望で国公立に絶対合格させたいというのがあった。俺は本当ならお前に「大丈夫、行け」と言うべきだったかもしれないが言えなかった、ごめんな」と謝られました。

私は「大丈夫です」と答えました。
どうしてもそこに行きたいわけじゃなかったんです。
ただ、母の希望に合致していたから口にしていただけで。
だって自分がどうしたいかなんて分からないままでしたから。

そのまま高校の特進クラスで過ごす仲で、高校2年の終わりにやっと「心理学を勉強してみたい」と思いました。
当時、心理学サークルを持つ大学はたくさんありましたが、国公立大学で心理学科がある大学はとても少なく、またレベルが高い大学ばかり。
(ちなみに、専門学校や短大は特進クラスということで学校側からNGが出ていました)

それでも何とか家から通える国公立大学で心理学科を持つところを見つけましたが、偏差値70超えで私は途方に暮れます。
(当時、私の偏差値は65くらい)

それでも模試で1度B判定を出してから何とか現役合格しようと頑張っていました。

そんな中、高校の担任と強化担任から「心理学科は止めておけ」と言われます。
「心理学科は潰しがきかない」と。

当時、心理学科を卒業したあとの就職先がめちゃくちゃ限られていて就職先に困るだろうという思いがあったようです。

母も「心理学はサークルでもいいんじゃない?」とあまり心理学校方面に進むのを快く思っていなかったようでした。

周りの大人からの心配という名の圧の中、「中学の時と同じだ。結局私のやりたいことはこうやって全部ダメって言われるんだ」と悲観した私はまた急激にモチベが下がり、結局3ランク程落とした国公立大学に願書を出しましたが、結局不合格でした。

滑り止めの私立大学には受かっていましたが、私の強い希望でこちらには行きませんでした。
(母は奨学金とか色々使って蓮もバイトしてくれたら何とかなるよ、行きなよと言ってくれていましたが、私が行く気がなかったのです)

高校卒業後、進学先がない私はフリーターになりました。

母が思い描いていた高収入な職業とは対極にある生き方でした。
結局この後30代後半になるまで私は私の本心を見失ったまま時間を過ごすことになります。

将来見据えて勉強しなさい。

私がずっと言われていた言葉です。

けれど、考えてみてください。
社会に出たこともない、学校や家庭という狭い世界しか知らない10代の子が、ましてや低所得家庭であらゆる可能性や選択肢の幅を狭められた子が。
どうやって将来を見据えることができるでしょう?

それでも勉強に適性がある子ならまだいいですが、私のように勉強に適性がない子はどうしたらいいのでしょう?

自分がやっとの思いで見つけてきた進路を絶たれたらどうしたらいいのでしょう?

それでも「努力しなかった本人が悪い」のでしょうか?

いいえ、努力するベクトルが分からなかっただけではないでしょうか?

今回、私が用意したoneday講座に使うワークでは
・本人の希望を明確化
を目的としています。
その上で
・そこに至る道筋を、可能性を、選択の幅を進路に関わる大人と一緒に考え、行動することでより本人の希望に沿った未来に向かってもらう為の資料とするものです。

私のように選択肢を狭められるだけ狭められ、希望を全て却下され、途方に暮れる子が減りますように。

(ちなみに私は母や父とは超仲良しです。母は母なりに私を思っていたし、時代的にも本当に勉強するしか現状打破する方法がなかっただけです。今みたいにインターネットとかYouTubeとかなかったですし、情報の幅も狭いし、選択肢自体も少なかったのです)

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