美しい生き方を推奨していくにあたり

息子に突然「この映画、プラットフォームって言うんやけど、ガチ意味わからん映画やから見てみてほしい」と言われました、蓮です。

意味わからん映画ってなんだよ( '-' )
と思いあらすじを聞いてみるとなかなか要領を得ない……。

そう、息子は物語を紡いだりあらすじを話すのが大の苦手←

とりあえず用事をすませたらNetflixで見ると約束して、見てみたら。

……イヤッイヤ イヤ!!!
全然意味わからん映画じゃないやん!?
めちゃくちゃメッセージ性の強い映画やん!?

となりました。

暴力シーンや極限状態でのカニバリズム・自〇・〇人もあるので広くおすすめはできないけれど、それさえも人間の性だと思えるほど。
とにかく考えさせられる映画だったし、ワイルドスピードとかのアクション系が好きな息子には確かに意味わからん映画だっただろうなと妙に納得もしました。

さて、なぜ私がこの映画の感想をまとめようと思ったかというと「美しい生き方を推奨する」と決めたからです。

むしろ「美しい生き方を推奨する」と決めたから「覚悟決めろよ?」と突きつけられた、そんな感じがしました。

あ、私の思う美しい生き方とはこちら↓↓↓

以下感想をつらつらと書いていきます。
あらすじや映画の内容が知りたい方は調べてみてください😊←

さて、この「プラットフォーム」という映画。

割と最初の段階で「地獄を模してるのかなぁ? 」と思いました。
こういう施設でのお話だったからです↓↓↓


底が333Fとする考察もありますが、作中で明言されていたのが333Fで、そのあとも何フロアか下に下がるシーンがあるので私は333Fが底ではないと思います。

で、大きなプラットフォームに全フロアの人分の食事が山盛りになって1フロアから下に下がるというのがミソで。
1フロアの人が食べる⇒食べ残しを2フロアの人が食べる⇒食べ残しを3フロアの人が食べる……底まで繰り返し。
なんですが、皆が適正な量を食べれば底まで食事が行き渡る……はずなんだけど、実際は100フロアより下のフロアには食事は行き渡りません。
その上のフロアの人たちが食べ尽くしちゃうから。

上のフロアの者が下のフロアの者を気にかけて配慮すれば全て丸く収まるんですが、底まで行き渡らないので荒むんですよね。

来月は自分が下層フロアに行くかもしれないのに、下層フロアに食事を行き渡るようにしようとは考えない。
とにかく自分が満足するまで食い散らかす。
食べる以外に何の娯楽もない施設なのも余計食べ過ぎに拍車をかけて……。

作中では48フロアで食事の量は半分くらいになっていました。

400フロア近くあるのに。
約800人分の食事を200人くらいで食べ尽くしてしまうんです。

しかも食い散らかすだけではなく、わざと唾を食事に吐いて下に下げたりもする。

自分もされていたから、他人にやり返すという発想。

この話は人間をそういうとことん醜い汚い性の生き物だとの前提で話が進みます。
つまり性悪説。

施設に入所する人は犯罪を犯してきた人もいれば禁煙目的で来た人もいたりで、犯罪者だけということでもない。

だからより性悪説が真実味を帯びています。

この映画の主人公は禁煙目的で6ヶ月入所予定です。

最初の1ヶ月で施設のシステムを知り嫌悪感を覚えるものの、1ヶ月で順応します。
この時は48フロアだったので汚いとはいえ食べ物は1日に1回は食べられる。
だから主人公にも同フロアの者にも「余裕」があり、それなりに楽しく生活ができます。

人間は「余裕」があれば他人に対して友好的な態度をとることができる。
それは理性があるから。
理性が本能を抑えてくれるんです。

翌月は171フロア。
食事は骨の1本もなく、空の食器だけが下がってくるフロア。
洗面所はあるので水は飲めます。

主人公が目覚めた時、同室の者に裂いたシーツでぐるぐる巻きにしばられていました。

私も以前経験したことがありますが、水さえあれば1ヶ月食べ物を食べなくても生きられます。
主人公も同じことを言います。

でも同フロアの者は「自分が空腹に耐えられるのは7日。それ以上は耐えられない」と。

8日目、主人公は太ももの肉をえぐり取られました。

まだ1週間。それまで毎日たらふく食べていたのにもう余裕がなくなり他者を害しても自分だけ助かろうとする。

そのあと第三者の介入で一悶着あり、結局同フロアの者は死んでしまいます。

主人公はその肉を食べようと思うけど食べきれず、死体にわいた虫を食べて生きながらえます。

翌月は33フロア。
パートナーはチェンジされ新しい人に。

新しいパートナーは運営側の人で自ら入所をしました。
そして「皆が適正な量を食べれば最下層まで食事が行き渡る」ことを知っていました。

食事の度に34フロアの人に語りかけます。
「あなたたちの食事を1人1皿でとりわけた。それを食べて35フロアの人のために2皿とりわけてほしい。それを35フロアの人に伝えてほしい。みながそうすれば最下層まで食事が行き渡るから」

でもその声は届きません。
34フロアの人たちから返ってきた言葉は……。
「俺は88フロアから34フロアに来たんだ。今までほとんど食べられなかったんだから好きに食わせてもらう」

私はこの主人公の新しいパートナーに自分の姿を重ねました。
「言葉と正論は他人には基本届かないが、余裕がある人には届くこともある。そして皆基本余裕がない」
今まで自分が活動してきた中で痛いほど知った事実でもあります。

この新しいパートナーは1ヶ月、34フロアの人に説得を試みお願いをしましたが結局伝わることはありませんでした。

翌月、202フロアに主人公たちは割り振られます。
新しいパートナーは200フロアと運営に聞かされていましたが実際はまだまだ下層があるということ、病に冒された体であるということ、1ヶ月した説得が無駄に終わった以上絶対に食事が行き渡らないこと、全てを悟り諦め主人公が目覚める前に自〇していました。

主人公はしばらくは空腹に耐えていましたが耐えきれずパートナーの肉を食べ生きながらえます。

翌月主人公は6フロアに新しいパートナーとともに割り振られました。

主人公は新しいパートナーに前のパートナーから聞いたことを話し提案します。

「俺たちで最下層まで食事を行き渡らせよう」

各フロアに着く度に話し、時には暴力を使いながら少しずつ食事を分けながらフロアを下がっていきます。

その途中で賢者に出会い「やっていることは立派だがすぐ暴力に訴えてはいけない。まず対話から。対話が通じず相手が暴力に訴えてきたらやり返せ」と諭されます。

その時に「0フロアにメッセージを残し、運営のやり方に反逆、または運営が望んでいる自発的連帯感が生まれた等何らかの異変が起きたと知らせなければ永遠にこの状態が続く。0フロアにメッセージを残して終わらせるんだ」とアドバイスをもらいます。

0フロアへのメッセージは「手付かずの皿を1皿でいい。0フロアに戻す」こと。
今まで空の食器しか上がってこなかったのに手付かずの皿が上がってくれば異変に気づく。

賢者……。マジ頭いい。

そしてその1皿を死守しながらどんどん下層に降りていきます。

そして333フロアでこどもと出会い、葛藤の末それまで死守してきた手付かずの皿をこどもに与えることに。

一緒に皿を死守してきたパートナーはこのフロアで出血多量で死亡。
主人公は、施設にいるはずのない16歳未満のこども自体が異変を知らせるメッセージになると考え、こどもと一緒に最下層までいきます。

最下層まで行けばあとはそのままプラットフォームにのっていれば0フロアまで行けるけれど、メッセージはこどもだけが行かなければならないとして自分は最下層に残りこどもだけを0フロアに送る。

ここで映画は終幕。

私はこれに現代社会の縮図を見ました。

自分だけ良ければいい。
他人がどうなろうと知ったことではない。
自分の不利益や理不尽は嘆くけど、自分が与えられる豊かさは独占しようとする。

私はそんな現代社会で「あなたらしい美しい生き方」を推奨していく。
33フロアのパートナーのようにただ伝えるだけではダメだ。

6フロアで新しいパートナーととにかく現状を変えようと1歩踏み出したように「あなたらしい美しい生き方」を伝える1歩を踏み出さなくては。

それには賢者のいう「0フロアへのメッセージ」が重要になる。
私が主人公であり、現代社会が施設「穴」だとするなら0フロアとは?

そんなことを考えながら見た映画でした。

私は「あなたらしい美しい生き方推奨」が0フロアへのメッセージだと信じています。

自分のことしか考えないことが一般的になっているこの社会で。
自立し自律しながら美しい生き方をすることに邁進しまっすぐに立つことは難しいかもしれない。
なぜ自分だけ?って思うかもしれない。

それでもやらないと変わらない。
現代社会を変えるためじゃない。
あなたがあなたらしく生き、その凛とした姿が美しいとあなたが満足するために。

私と一緒にやってみませんか?

美しい生き方をするにはまず「自分にとって美しい生き方とは?」を知る必要があります。

が、ほとんどの人はそこを意識していません。

その理由の1つに自己肯定感が低く夢や理想を追い求める元気がないからというものがあります。

なのでまずそこを元気づけていこう(*•̀ㅂ•́)و✧
というメニューがこちら↓↓↓

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