占い師というカテゴリーから離脱
私は、昔から自分を「占い師」だと口にすること、誰かから「占い師さん」だと言われることに強い違和感を感じます。
なので、今までもあまり積極的に「占い師」と使うことはなく「タロットメッセンジャー」「カードリーダー」という呼称を多用しています。
今までは単に慣れてないだけだ、と思っていました。
でもどうやら慣れの問題ではなかったようです。
私がやっていることは多分占い師さんと変わらないと思いますが、なぜか「占い師」さんと自称したり誰かに呼ばれるのに違和感を感じる、これは何かなとずっと考えていました。
私は、ふと気づいてしまいます。
私、占い師という言葉にいいイメージがないから嫌なんだ、と。
私は昔から占いに親しんできました。別記事にも書きましたが自分でも色々な占いを経験し、今に至ります。
私は自分がとてもややこしい性質なのを知っています。特に命や相では自分の性質が割り振られたカテゴリーからはみ出てしまい、いわゆる「当たってない、そんなことない」状態になりやすく占い師さんの伝え方によっては「そんなこと聞いてない、無理やり私をあなたの知っている枠に当てはめないで頂きたい」と感じてしまいます。なので9割がた自分の悩みはタロットカードやダウジングのセルフリーディングですませるんですが、それでもたまには自分以外の方にやってもらいたくなる時があります。
その時に、あまり面白くないと思うことに遭遇しやすく、結局「見てもらわなければ良かった」と感じやすいのです。
私が「見てもらわなければ良かった」と感じる占い師さんは、ボキャブラリーの少ない方、知識の薄い方、寄り添わない方です。
ボキャブラリーが少ない方は正直何を言いたいのかわかりません。
知識が薄い方(自分の経験、体験が乏しく想像力もあまりない方)はこちらの質問にはっきり答えてくれず、「じゃあどうしたらいいの?」にもはっきり答えてくれません。
寄り添わない方はこちらの事情などはまるっと無視して、「〇〇しないあなたがいけないのよ!」「それはあなたの受け取り方が間違ってる」「〇〇ってでてるからあなたの才能は〇〇ね」など自論を押し付けてこられます。
もちろんボキャブラリーのある、知識が濃く、寄り添ってくださる素晴らしい占い師さんもたくさんいらっしゃいますし、特にTwitter上で私が親しくしている方は素晴らしい方々ですが、私は今までそういう不思議な占い師さんに当たることが多かったのです。
不思議な占い師さんが、私の中の「占い師」のイメージ。それは「一緒にされたくない」と反骨心がムクムクと盛り上がってきても仕方ないなあ、と気づきました。
私はボキャブラリーも知識も普通か普通以下ですが、相手に寄り添わない言葉をチョイスすることはほぼないです。そういう自負があるから「占い師」という言葉を使いたくなかったんだなあ。
元々、「占い師」になりたかったわけではなく、タロットカードを使って何かできることをしたかったのです。タロットカードは占いの道具として認知されてるので受け入れられやすい占いをやっていました。
今、占い以外のタロットカードでできることが形になりつつあります。
それが形になったら、私は「カードリーディングができる〇〇」もしくは「紅 蓮」というジャンルに身を置きます。
ようやくこの違和感から解放されると今からワクワクしています。
占い師ではなく、カードリーディングもできる〇〇な蓮になっても変わらぬご愛顧をよろしくお願い致します。
愛をこめて
紅 蓮
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