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人の「大喜利について思うこと」を読む2

こんにちは、木曜屋です。

お便りコーナーの2回目です。これがお便りコーナーかどうかはわかりませんが。

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マクドナルドを食べるコダック、おマック

神児遊助さん

上地雄輔さんのブログからも投稿があるなんて。ありがうございます!

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大会形式の生大喜利のお題に使える漫画、アニメ、芸能人の知名度の境目はどこだと思いますか?
私はアニメだと「ドラえもん」「サザエさん」「アンパンマン」の3つ、芸能人だと、芸人さんに絞るとビッグ3(ビートたけし、タモリ、明石家さんま)とダウンタウンくらいまでじゃないかなと思います。

匿名希望

難しいですねえ。ここだという境目を自分の中でも決めきれません。知名度があれば良いとも言い切れませんし。『鬼滅の刃』のお題を出すのはやはり躊躇しますし、『呪術廻戦』のお題が出たら私は手も足も出ないでしょう。

私は『スラムダンク』もほとんど知らないので、
・こんな桜木花道は嫌だ
みたいなお題が出されるとかなり困ります。本当に知らない人は「桜木花道って誰?」となるでしょうし、私も「不良でバスケをやっている?」くらいしか知らない。

しかし、
・主人公がスライムのバスケ漫画『スライムダンク』ってどんなの?
これなら、スラムダンクの要素を使わずとも答えられるので、私でも答えられそうです。でもまあ、スラムダンクの要素を使える人の方が有利には変わりありませんが。とは言ったものの、大会ならば、審査する人にその回答が伝わらないといけないので、少し深い回答をすると伝わらない危険性もあるわけですねえ。大喜利で戦いたいのに、その作品の知名度の程度を測る戦いになってしまうわけですね。うーむ、悩ましい。

まあ、先ほど例に挙げたように、お題の作り方によっては使える作品や有名人の幅も増えるのではないでしょうか。お題の幅が狭まっていくのは、私はさみしくて嫌なので、なんとかうまいことしていきたいものです。

ちなみに、これはすべての有名人に言えることですが、特にビートたけしやダウンタウンは、年代によって知っていることの差がかなり出ているイメージがあります。

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大喜利会、大会などで調子が悪くあまりウケなかった時、どういう風に気持ちをリセットしますか?
大喜利会、大会が違うもの、ということでしたらそれぞれのリセット方法を教えて欲しいです

Dさん

リセットできないままズルズルいっちゃいますね。大会だと、だいたい調子悪いのがわかったときにはもう負けているので、なすすべないですね。自分の調子が悪いというよりも、その場の空気に合っていないというのが、ウケなさの正体であることが多々あるので、そこは見極めないといけませんが、私はいくつもの種類の大喜利ができるわけではないので、何を変えるとかも特になく、空気に合わないままズルズルいっちゃいますね。なすすべないです。

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「自分の好きな回答」という言葉に違和感を持つことがあります。まず前提として、プレイヤーの各々に好きな回答があって、それを大事にするのは素晴らしいことだと思います。
その上で「負けちゃったけど(低い順位だけど)自分の好きな回答を出せて良かった」と言ってる人に違和感を感じることがあります。
個人的な意見になりますが「自分の好きな回答」を負けてしまったことへの言い訳に使ってるように感じます。もちろん自分の好きな回答をするのは思考もしやすいし、それでウケたらホントに嬉しいので良いと思います。しかし、負けてしまった以上は、とても過激な表現をすると面白くない回答(そうでなくとも、もっと面白い回答が存在する)ので、「負けちゃったけど自分の好きな回答を出せて良かった」という発言には、自分の好きな回答をすることで勝負を降りたんじゃないか?と思ってしまいます。(これはかなり考えすぎかもしれません)
大喜利は多くの人が趣味として楽しんでいるし、勝負になっても楽しむことを優先するのは悪くないと思いますが、それでも勝負である以上は勝つことを目指すべきだし、勝負を降りるなんてもってのほかだと思っています。
そもそも自分の好きな回答でウケれなかったときに感じるのは、その回答を出せたことによる達成感より、自分の好きな回答でウケれなかった悔しさなんじゃないかなと思います。
長くなってしまいましたが、結論としては「好きな回答という言葉を言い訳に使うことに対してどう思うか」ということになると思います。
この質問がそもそもあまり意味の無い質問だったり、答えにくい質問だと感じた場合はスルーしていただいても構いません。
長文乱文失礼しました。

(※一部誤字等を修正しました)

答えにくい質問ですが、スルーせずにいきましょう。
お気持ち、よくわかります。「好きな回答が出せて良かった」という言葉は、勝負というものに真剣になっている人からすると、負けた言い訳に聞こえてしまうこともありますよね。ただ、「勝ち目がないから好きな回答を出すことに専念し、勝負を降りてしまった」というパターンはかなり少ないと思います。「その場ではウケなかったが、自分では満足のいく回答は出せていた。自分の全力を出せたのだから仕方ない」という意味での「好きな回答が出せて良かった」であることが多いのではないでしょうか。図にすると下のようになります。

大会では、どれだけ自分がウケても、それよりもウケた人がいれば負けてしまいます。
投稿者さんは、「勝負の大喜利」と「楽しむ大喜利」というものが別のものと捉えられていると思うのですが、楽しむ大喜利が勝ちに繋がることもよくありますし、それもいわば
大喜利には「こうすれば勝てる」という絶対的な方法がなく、それに近い方法が確立されたとしても、それはすぐに飽きられて古くなり通用しなくなってしまう。「見ている側の想像や期待を超える」ことが重要な大喜利というゲームにおいて、「自分の好きな回答を出す」「楽しむ」というスタンスを取ることは、勝負を降りることではなく、勝つための戦略の一つだと思います。

うーん、この質問に対して50%くらいしか答えられていないかもしれませんが、「好きな回答という言葉を言い訳に使うことに対してどう思うか」への返答としては、「確かに、自分の気を落ち着かせるために「好きな回答」という言葉を使っている人もいるかもしれませんが、ほとんどの人は「今回は負けてしまったが、全力出して頑張ったわけだし、悔いはないよ」という意味で使っているのではないでしょうか」というものになります。勝負に真剣なことはとても良いことだと思いますので、これからも頑張っていきましょう。

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同じ回答でも、この人が言うからウケる/ウケない と感じる場面が多々あります。(ウケる人は言い方のテクニックがあるというのもありますが)人間たるもの、これはしょうがないのでしょうか?

YES。「しょうがない」ということは、投稿者の方は、同じ回答の受け方が人によって違ってくることに良くないイメージを持たれているのでしょうか。匿名のネット大喜利ではこのようなことは起きませんが、生大喜利では必ず起こることですし、私はそれは大喜利の醍醐味のひとつだと思っています。おじさんが言う「犬が寝ている」と女の子の言う「犬が寝ている」、ちょっと怖そうな人の言う「犬が寝ている」、筋肉ムキムキの人の言う「犬が寝ている」、どれも違った印象を持たれるでしょう(それが良いか悪いかはわかりませんが)。

私は生大喜利をよくスマブラ(大乱闘スマッシュブラザーズ)という格闘ゲームに例えるのですが、ピーチ姫よりドンキーコングのほうが、パワーはありますよね。では、ピーチ姫はドンキーコングに敵わないのかと言えば、まったくそんなことはない。パワーが弱くてもスピードが速かったり、攻撃が特殊だったりと、キャラクターごとに長所、短所があるわけです。自分というキャラクターの長所や短所を上手く使って回答をすること、それが生大喜利の面白いところなのではないでしょうか。

ちなみに、生大喜利をスマブラに例えるのは、様々なゲームからキャラクターが参戦するところと、様々な場所や人生から参戦するところが似ているから。

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苦手なのもあるが、対決形式がしんどい。趣味で気楽にやりたいのに、負けると心が荒む。ガチでやりたい人もいるのはわかるので、もっと気楽な形式の大喜利の場も増えてくれればな、と思う

投稿者の方がどこの方なのかわかりませんが、今の関西は、大会よりもオフ会の方が多いと思いますが、オフの会の中でもちょっとしたミニ大会が開かれたりもするので、それもしんどいのかなあ。ちなみに、私が開催しているテトラボでは、オオギリホエールなど、勝敗のない大喜利をしていることが多いです。

いわゆる競技大喜利が苦手な人も一定数いるのでしょうね。私は競技大喜利のために大喜利をやっているところもあるので、対戦形式は嫌いではありません。

ちょっと話はずれるかもしれませんが、投稿者の方は「気楽な形式の大喜利」と書かれていますが、私は勝敗のつかない大喜利の方が緊張するときがあります。対戦形式なら、勝つために回答を出さなければならず、思うようにウケなくても、勝つための行動だからという理由がつけられるのですが、対戦形式でない場合は、ウケなかったときに言い訳ができません。「面白いと思って出したのにウケなかった」という事実をババーンと突きつけられてしまう感じがして、肝が冷えます。対戦形式でない大喜利が必ずしも気楽とは限らないということを、知っておいて頂けるとありがたいです。

今回はここまでです。続きは次回。

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