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人の「大喜利について思うこと」を読む

こんにちは、木曜屋です。

人が大喜利について何を思っているのかを知りたくて、そういうフォームを作ったところ、ありがたいことに十通ほどの投稿がありました。嬉しい限り。ありがとう、人。投稿された「思うこと」を紹介していきます。

フォームはこちら。

001
感動した!
感動した理由:痛みに耐えてよく頑張っていたから

小泉純一郎さん

最初にきた投稿なのですが、これ、フォーム作って4分後に送られてきました。ありがとうございます。

002
見たことあるお題が出たらその時出てたのと同じ回答をするのってあり?自分のだったらあり?

ネコニャンさん

見たことあるお題って、意外と当たった記憶がないんですよね。
私自身は、人の回答をそのまま出すのは嫌なので、そこから着想を得て、なんかアレンジして出すのは良いかなと思います。見ている人に「あれ、あの時のあれじゃん!」とバレてしまうのがダサいかもなと思うので、私は人の回答をそのまま出すことはしないですかね。
人が人の回答を出すこと関しては、確かめようがないので、何とも言えないですね。自分の過去の回答なら良いんじゃないでしょうか。ダメという権利もないですし。ただ私は「あの時のあれじゃん」と思って、ノイズと感じてしまうかもしれません。

003
「平場の大喜利」と「大会の大喜利」とでウケる立ち回り方が違うと思うが、自分は大会でうまく立ち回れたことが無い。大喜利の大会で勝つ為の方法があれば教えてほしい
(優勝するというよりも、予選や一回戦を勝ち上がるためのコツの方が嬉しい)

その時のルールや組み合わせで勝ち負けは変わってくるので、1回戦で負けることもあるし、決勝で楽に勝てることもあります。予選が楽で決勝が難しいと考えている時点で、大会というものがどういったものかわかっていないのでは。
いかん!!怖がられてしまう!!
おもしろい回答をすればウケるので、それ以上のものはないですね。ルールによって勝ち上がるコツも違いますし。うーん、ルールをよく読む。これですね。私も初めての大会の前は、必ずルールを確認しています。

004
自分より怖いと思う大喜利プレイヤーは?

匿名さん

私が一番怖いです、とほほ……。

005
私はキャラが無いのですが、無理矢理キャラをつけた方が良いですかね?例えば、目立つ衣装を着る 等。(可能な限り、衣装は安く揃えたいです)

おっ食べたいさん

アマチュア大喜利にキャラも何もないでしょうとは思いますが、そうですねえ……。
キャラクターとは性格や人格のことで、それがない人はまずいません。キャラクターがある人というのは、その場所や界隈に慣れ親しんでいて周りに受け入れられているということだと思います。
無理をするというのは、いかなる場合もやらないほうがいいですが、気持ちを変えるということは良いことだと思います。普段とは違う服を買ってオシャレを楽しむというのはいいことだと思いますよ。

006
『面白くない人』としていじるのは興行としてはありだが普通の大喜利会でやるのはかなり悪質だと思う

投稿した人は、そのような状況に出くわしたということなのでしょうか。
どのような立場の人が誰を「面白くない人」としていじるのかが書かれていないので、何とも言い難いですね。
プロの芸人さんが、ある芸人さんを「面白くない人」として周りがいじる、いわゆる「スベり芸」をするのは、そういう仕事であり、ショーであるので許されるが、一般人が大喜利会で同じようなことをやるのは良くないというのが、この方の言いたいことなのだとすると、私もおおむね同意見ですし、気を付けないといけないなとは思いますが、悪質と思われるほどのものを見た記憶は、私にはあまりありません。
私も、司会や解説をしている時に「何言ってるんですか」「ちゃんと考えてください」などということはあります(もっと厳しいことを言うことも多々ある)。それは、やはり場を盛り上げたいですし、回答に対して何かコメントをしたいからです。それがダメだと言われてしまうと、私はかなり厳しいですね。
私の中で上手く結論が出せないのですが、いじったりいじられたりするのは、個々の関係性によってもかなり変わってくる話なので、一概に何かを言うことが難しいですね。

007
大喜利ってそんな大真面目に考えないといけないものですか?

オオメシグライ

大喜利でもなんでもそうですが、真面目に考えなければ、物事を深く楽しむことはできません。それはゲームでも、映画でも、スポーツでもそうでしょう。

008
大喜利はもっと分かり易い漫才や、すべらない話みたいに大衆的になるべきだと思いますか? それとも、俳句や詩のようにある程度やっていないと理解出来ない芸術に近い方向に行くべきだと思いますか?

大衆的になって、多くの人に大喜利に触れてほしいです。
ただ、大衆的になるべきで芸術に近い大喜利には行くべきではないとも思いません。どちらも有っていいですし、どちらもある状態しか想像ができません。
この質問、そもそも俳句や詩が、本当にある程度やっていないと理解できないものなのか、芸術ってそういうものなのかが疑問で、かなり考えるのに時間がかかってしまいました。

009
でも大喜利やってない人がその回答見ても笑わないよね?
(僕は「面白さ追求してるけど大喜利やってない大多数の人たちの笑いは取れないよね?」って思ってしまい悩んでしまいます。このせいで定期的にスランプになります。みんなこの悩みにケリ付けて進んでると思うんですけど、どうやってケリ付けたんですか?)

でも大喜利やってない人は笑わないよね?さん

頭おかしなるわ!! 
大喜利をやっていない人が笑うか笑わないかは、実際にやってみないとわからないので、頭の中で考えるのではなく、実際にそういう場所で確かめて前に進んでほしいですね(そういう機会があまりないのが現状ですが、とほほ)。
私は、ATC大喜利ぐらんぷり(ショッピングモール)や、ダイキリ(大学の文化祭)といった、一般の観覧がいる場面で大喜利をした経験がありますが、普段の大喜利会などと同じように、ウケる回答もあるし、ウケない回答もありました(かなりウケて楽しい思い出でもあります)。
あと、ここで言われている「大喜利やってない大多数の人たち」という想定が、ちょっと漠然とし過ぎというか、大喜利やってなくても、お笑いを見たことがある、慣れ親しんでいる人はかなりたくさんいるはずですし、大喜利が他のお笑いとそこまで乖離したものではないはずですし、そこまで悩む必要はないのかなと思います。

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