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(修正版)日中韓同祖論時代のメモと修正1

♪日中韓同祖論時代のメモと修正1

週刊くるくるぱ~、の、殴り書きを、
多少修正して抜き出した。

7年くらい前、の、副島隆彦氏推薦の、倭国という、
日中韓同祖論や、一般歴史書をメモした覚書である。

というか、メモしたものの、活用方法が無くて、
持て余していた物体の一部である。

とりあえず、作文を公開出来て自己満足する。

倭国のほかに、図書館でメモした覚書も挿入しておる。

修正個所として、この部分が、ユダヤの移民である
と、導入しておいた、が、正しいかは知らない。

学ではなく、あくまで、当方の一人称である。

論文ではない、作文だお。( ・ω・)  

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以下、7年前のメモ。(正確かは不明w)

華僑の歴史は「倭国」という本を参考にしました。

夷(中国人の祖先)なる東南アジア方面から移動してきた
土人が長江(揚子江)を下って黄河、秦嶺山脈(シャンシー省)
ふもとに文化を構築しました。

夷は「低い」と同意語で、平地(平原)に
住む住民
という意味でした。

この言語は、インドシナ半島の
諸民族言語がルーツのようですた。

夷部族は北方の狩猟、遊牧民族(黄河と以北の民族)
と交易をして都市として弥栄えました。

この集団は、黄河南岸の洛陽盆地に首都を構築し、
他の諸部族(諸文化)を巻き込んで国家に成長しました。

この国家を、夏(夏人)といいますた。

夏(価)は商売を意味し、夏人は
「商売する人」のことですた。

夏人は、禹なる祖先神(初代の王)を崇拝しました。

または、禹は蛇神(水神)で、中国ではと呼ばれました。

竜は河(江)という意味で、元は東南アジア方面の水神でした。

長江の南側では水神(龍神)を江(河)と呼びました。

華南の夏人の末裔を、越人ともいい、上海~香港~
ベトナムの海岸側に広く分布
しました。

この辺の原住民圏を後年、大越や百越といいました。

越人も竜(蛇神、水神)を祖先神とし、体中にタトゥーを
入れ、農耕と漁業で喰う航海術に長けた海洋民族でした。

越人は沿岸沿いを移動して、山東半島~渤海を辿って南朝鮮と
弥生初期の九州北部に上陸しました。(越人が弥生人の祖となりました)

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夏人が建国した夏国は、交易をしていた、北方の
高原に住む狩猟民族「テキ(モンゴル?)」に侵略され、
滅ぼされました。

そしてテキ人の首長「湯王」は黄河
(洛陽盆地)にを立ち上げました。

テキ人は内モンゴル~東北三省~北朝鮮~
シベリア東部
までを広範囲に支配する狩猟民族
(遊牧民族)ですた。

交易の易や穀物の収入を
意味する「テキ」と同意語ですた。

殷は「商」という意味で、「テキ人の商い(交易)」ですた。

同様に、夏は「夏人の商い」を表しますた。

BC1400年前頃、般庚王が安陽に首都を移転して
東北地方(北京周辺)に殷の勢力を伸ばしました。

BC1200年前頃、金毛九尾の狐に憑依された
殷は周に滅ぼされました。

殷を滅ぼした周の武王は、燕国(山東~遼寧
あたり)
に殷勢を封じ込め、殷王の一族であった
箕子という賢人(学者)を朝鮮地域の王に封じました。

燕国の中国人は朝鮮地域を支配下
(植民地、軍事基地)に置きました。

以降、北朝鮮や満州あたりは、中国人と北方
遊牧民(異民族)の住む雑居地帯
になりました。

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古代朝鮮の(弥生式)土器文化は、やはり
日本と同じくらいに発祥しました。

BC770年前から、中国で春秋戦国時代が始まりました。

BC700年前頃から、朝鮮半島では金属器や
青銅器の使用が始まりました。

北方スキタイ文化(辺境民族)から伝わった
ものや、朝鮮地域に住む中国人が作るオリジナル
の鉄器が使われていました。

鉄器文化は、燕国が支配した西北朝鮮で
BC400年前頃までに定着しました。

東アジア鉄器文化の源流については、確か
中国オリジナル説などがありましたが、いづれ
最初は西域から遊牧民が伝えた技術だと思います。

BC500年前頃、山東半島(斉国、青島)に
拠点した、越人の商人や農民漁民達が
朝鮮半島南部を開発して定住しました。

朝鮮定着後、同時期(2500年前)に、越人は対馬九州
から倭に小規模で上陸して(弥生人として)諸地域を
水田事業で開発しました。

この頃の倭は新石器弥生土器の原始共同体でしたが、
ボチボチと鉄器文化にコンバートされ、殺し合いも発生しました。

水田栽培用のジャポニカ米は4段階に
分けて倭に到達しました。

★南中国沿岸(越)から山東半島を経て到来した米、

★雲南省、ベトナム方面から海路(海岸沿い)に
到来した赤米(タイ米)、

★黄河流域から朝鮮を経て到来した米、

★長江流域から朝鮮を経て到来した米

・・が主な経路で、中国朝鮮人もこのルートを
経て段階的に倭に到達しました。

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南朝鮮の越人(斉国の中国人)や少数原住民は
後に真番族と呼ばれ、真番族が後に三韓(辰韓、弁韓、
馬韓の諸部族)
と呼ばれました。

華北の辺境は主に燕国が支配していましたが、山東や
河北地域で東北の異民族が暴れて争いました。

BC333年頃、越国が祖に滅ぼされ越人
の末裔が四散しました。

その一部が、祖先の移動した伝承のあった
南朝鮮や九州北部に逃げました。

次に呉国が滅ぼされ、越人と同じ経路を辿りました。

そして南朝鮮沿岸や九州に中国中部以南(呉や越)
の海洋文化(海族)が伝来しました。

BC284年ころ、燕国の昭王は山東省の斉国を
滅ぼして勢力を拡大しました。

燕国朝鮮地区(軍事基地)の燕人も北朝鮮地域
から南朝鮮地域に勢力を拡張しました。

朝鮮地域では、燕国の、高性能な鉄器をカスタ
マイズした?銅剣が開発され、九州や諸地域の
部族に売られました。

中国語は、夏人の東南アジア系言語が主体で
古代漢字は東南アジア言語から発生しました。

北方民族(殷)征服後は、東北アジア言語が多少混ざり、
他の遊牧民のアルタイ語も一部に混ざりました。

北方の山岳民族であった燕人にはアルタイ語が
混ざり、朝鮮にもその言語が波及しました。

この頃の朝鮮諸地域は、中国文化は幾つか伝わったも
のの、生活は越人時代の半竪穴式住宅や農耕儀礼の呪術的
な生活様式(原始共同体)のままでした。

朝鮮の文化は、中国東北地方(+内蒙古)の南ツングース系
民族と、点在している諸部族の雑多な影響で形成されました。

南ツングース系の文化は、北方スキタイ文化、アルタイ
文化、後に燕国の影響で独自の鉄器文化が発祥して、
BC300年頃までに東北地方全土に広がりました。

黄土高原の文化の影響で、朝鮮の
スキタイ文化は衰弱していきました。

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BC222年、燕国がに滅ぼされました。

BC221年、斉国が秦に滅ぼされ春秋戦国期が終わりました。

秦始皇帝が黄土高原36群と、その一つの遼東地域
(北朝鮮)と沿岸を支配しました。

BC210年、始皇帝が会稽山を(コウ州湾南岸)
を祭りました。

BC219年、禹を祖先神として崇敬する始皇帝の
命令で、方士(道士)の徐市(徐福)は、越人が
伝承した蓬莱、方丈、エイ州の探索に若い男女
数千人規模で出発しました。

徐福は南朝鮮や対馬、九州北部(筑紫国)に到達して、
そのまま部族(王朝)を築き、中国には戻りませんでした。

BC214年、秦は南部中国の沿岸地域(百越)に
軍を派兵して越人を征服しました。

広東に南海郡、広西に桂林郡、ベトナムに、
象郡として、基地を設立しました。

BC206年、秦帝国が滅び、BC202年に
漢帝国が成立しました。

高祖は燕国に侵入し、一族のロカン氏を
燕王に封じました。

BC195年、燕王ロカンは、代王の反乱に
加勢して漢に討伐されました。

漢書(史書)の「箕子朝鮮」のエピソードに、
朝鮮の名前が始めて登場しました。

漢帝国が、楽浪、帯方(北朝鮮)の二群
(漢の軍事基地)
を、朝鮮と定義しました。

「朝鮮列伝」によると、燕国が攻撃された時、燕人
「満(衛満)」は、燕の元太守ら1000余と、朝鮮に
亡命しました。

満一派は朝鮮諸民族と、元から住んで
いた燕や斉の黄土高原民族を服属させ、王険(北朝鮮)
を首都として、王朝を立ち上げました。

漢から任命された燕の太守は、強大になった満一派と
戦争をする余力がなかったので、満の新興国を渋々同盟国
として認めました。

満は、燕の太守を脅迫して、朝鮮原住民の統括を
引き受ける代償として、軍事、経済援助と諸部族酋長
の、皇帝謁見を獲得しました。

満の勢力は拡大し、朝鮮(遼東)と周辺の諸部族
(諸地域)を支配下に置きました。

これ以降、雑多であった朝鮮半島は、華僑(漢人)
と朝鮮諸民族の連合国家が成立し、漢帝国から
朝鮮亡命者がどんどん増えました。

満伝説には「孔子が箕子を尊敬して王に
推薦した」
という話も存在しますた。

が、これは植民地政策の一環として
大義名分にした嘘話ですた?

孔子伝説は楽浪郡(軍事基地)の漢の役人が儒者
から聞いて強調したせいで広がったようですた?

満が亡命する以前の朝鮮と周辺地域には、燕、斉から
移住していた中国人が小都市を至る所に形成して、土着の
原住民(諸部族)と交易(商い)をしていました。

朝鮮(遼東郡)周辺には朝鮮族南海岸に真審族、
東海岸に臨屯族
なる諸部族が、諸民族社会を
形成していました。

このころの朝鮮原住民は、北部ではカイ・ハク族、
南部ではカン族
とも呼ばれました。

漢代のカイ族は、高句麗(東北三省、北朝鮮)に点在
する民族名ですが、3世紀には別の意味になりました。

朝鮮という名前は国名ではなく、倭のような地域名ですた。

箕子伝説など3つの朝鮮神話(箕子、衛氏、檀君伝説)
同じで、諸地域によって変形したようですた。

衛氏朝鮮のは、漢帝国から見て、
辺境と言う意味に使われますた。

檀君朝鮮は、虎と熊(神)が人間に化けたという
民間伝承(神話)から起こった地名で、今の平壌
のあたりです。

虎は消えましたが、熊は人間と融合しました。

熊は古代朝鮮語でカム(神)という意味ですが、渡来人と
一緒に倭国に持ち込まれてカミ(神)に変化しました。

聖なる虎や熊信仰は、古代インデアンの
トーテミズムと同様の観念ですた。

または熊は山(神山)のことかもしれません。

異常、メモの前半!

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♪ユダヤで修正

週刊くるくるぱーの作文を、一部直した。

朝鮮半島の部分は、黄土高原と異民族
による、植民地支配の話である。

要するに、北朝鮮を領土としたのは、
燕国(北京)の、満という人物で、後に、
に、土地の利権をかっぱらわれる。

朝鮮の箕子は、周王朝の中国人である。

北朝鮮は、当初から中国の領土である。

なお、中国という国家は、毛沢東まで存在
してないため、正確には、周と燕の支配地である。

世界の中心だから中国という、驕慢な意味なのだが、
シルクロードルートにおける、中心地という意味
だったかもしれない。

その、終着地点が、日本である。

その後、満州の高句麗が支配、建国する。

燕国(北京)の連中が、どの程度、倭に来たのかは
不明であるが、稲を持って、開墾しに来たのではない。

神話の虎は、朝鮮虎(アムールトラ)
ことらしく、絶滅したせいか、神話も消えた?

熊は、根の深い背景があり、ここでは省く。

当方も、まだ理解していない。

徐福だけでもなく、死に方が不明瞭な始皇帝一族も、
倭に渡来しておる
のが、当方の空説である。

病死したのは、影武者である。

ウィキには、"統一後に何度か各地を旅して長距離を廻ることも
しており、紀元前210年に旅の途中で49歳(50歳)で急死するまで、
秦に君臨した。"
とあり、長距離移動は、可能である。

ユダヤ系徐福の移民団の中に、
ハプロO系がおり、O系弥生人になる。

道教や祭祀の部分は根が深い。

始皇帝が、祭祀をしていた、禹は、前記のように、
ヤハウェの神、ユダヤの祖先、モーゼ、水の神、龍神、
など、色々考えられるが、真相は不明である。

==============

冒頭の、夏以前の修正である。

夏人は、恐らく、シュメールかユダヤ人と末裔である。

は、恐らく縄文人である。

覚書では東南アジアとなってるが、ウィキでは、
黄土高原から見て、東部から来た集団である。

日本神話でも夷が使われるが、方角というより、
中央集権から見て、異民族の事である。

夷は、台湾、インドシナを経由して、南側から上陸、
黄土高原周辺の、龍山文化集団(元祖中国人)と、
交易を展開していた?

龍山文化の一部地域は、シルクロードの通り道である。

北方の遊牧民が、ユダヤ人集団である?

縄文、龍山、ユダヤの交易が、夏王朝というわけである。

とすれば、五帝は誰や?という話に
なるんで、その部分は謎である。

シュメール、若しくはインド?

田中教授は、交易目的で大陸を横断していたのは、
ユダヤ人だけだと話しており、五帝もユダヤ人の
可能性がある??

♪修正版、ラムセス二世で統一

モーゼの部分、修正した。

定かではないが、副島隆彦氏の本だと、
モーゼの頃、エジプトの、アテン神派と、アメン神派
の対立
があって、その政争で、モーゼが、出エジプト
に至ったとのことである。

モーゼは、エジプト人神官だったとのことだが、
その部分は違い、ユダヤ人の、エジプト王朝の
神官の一人である。

ヤハウェは、エジプト人の行政、法律家か何か
で、モーゼと、何らかの契約をしており、それが、
十戒になったとの話である?。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ここから修正!ラムセス2世の時代で統一。

上記の、アマルナ革命説は却下して、書き直した。

モーゼとは書いとらんが、エジプト時代の、
イスラエルの、離散の記述がある
と話している。

ラムセス二世ではなくて、息子の、メルエンプタハ
の頃、イスラエル民族に戦勝した
、との記述がある。

一行書いてるだけだが、これが、申命記の
モデルになったようである??

ネットに、アテンと両方の説があって、どっちだか分から
なかったが、アテン革命説は却下し、正調の、ラムセス説
の方を支持することとした。

アテン神のアマルナ革命の後、ツタンカーメン
とラムセスⅠ世
の頃、アメン神に戻して、それ
以後の話である。

聖書の物語を加味すると、ラムセス二世の頃、
出エジプトし、どっかで、数年ウロウロしていた
時期に、メルエンプタハが急襲して戦勝した?

そのせいで、離散して、一部が、華南(カナン)
に逃げてきたのかもしれない、
が、不明である。

ラムセスの即位は、BC1279~1213年頃、メルエン
プタハの即位は、BC1212~1202年である。

ラムセス死後の、10年の間に、ヘブライ民族を
襲撃、その時期に離散したようである?

♪モーゼ妄想

十支族以前は、オカルト領域であるから、
適当に、空想した説である。

殷の晩期に、南中国沿岸に来た、モーゼ一族
やその末裔が、越人になったのである。

越人は、夏の末裔でもある。

と、すると、夏の時代からウロウロしてた
末裔も、他のユダヤ人の誰かである。

夏に住んでた部族は、ベトナムあたりまで
広く分布し、後年に、越人と呼ばれたのである。

モーゼ一族=越人=南方(かチベット)の夏人
このラインが、中国に居たユダヤ人である。

モーゼの時代に来た越人は、出雲に王朝を立ち上げ
出雲の始祖の、モーゼを、クナトの神と呼んだのである。

旧約聖書は、"シナイ半島を40年間放浪し定住を始めた。
200年程かけて一帯を征服して行く。"
である。

モーゼがエジプトから脱走して、西アジア~
ウィグル?~夏?~越(カナン)~出雲
、と、240年くらい
かけて、集団と末裔が、出雲に定着したということである。

一族は、出雲から越(新潟)、諏訪、鹿島に展開、
一部は、更に北上して、〇〇〇に定着する。

当方の地域が分かるから、伏字にしておく。

モーゼは、イスラエル部族の、レビ族の一人である。

レビ族は、祭祀をしていた集団である。

つまり、ユダヤ教における、祈祷、ご神託
(預言者)のエキスパート達
である。

モーゼは東征したが、イスラエルの、他のレビ族は、
ダビデ王、ダビデ家に仕え、滅亡まで、大祭司をしていた。

ダビデ以後も、レビ族は倭に来ており、伊勢神宮の
アークやダビデの紋章
は、恐らく、こやつらの足跡である。

キリシタン大名か、GHQの、情報工作説は間違いである。

俺も最初はそう思っていたが、どうやら、
もっと前から存在している。

そして、確証はないが、は、アブラハムかもしれない?

ヤハウェは、意味が幾つかあるんで、ちと置いておく。

アブラハムは、固有名詞ではなく、族長という意味である。

禹⇒夏の初代クビ長(アブラハム)、水の神、蛇神、
龍神
、というルートが出来るが、今んところ妄想である。

次に、殷を立ち上げた、テキ族である。

メモにはテキ族と書いてるが、どの本に
書いてたのか不明である。

テキ族の王は、湯王のことだが、ネットには、
どこからやって来たのか出てない。

テュルク系遊牧民族であれば、トルコや
ロシア南部である、或いは、モンゴルなのか不明。

夏と同じように、交易目的で移動してきた
らしいが、えらく好戦的である。

それ以上知らんw、何か発見したら、機会を改めて書く。

で、モーゼ(クナトの神)時代から数百年後。

朝鮮半島の鉄器は、ユダヤ人と縄文が、製造していた。

春夏戦国時代の頃、BC772年、北イスラエル王国が、
アッシリアに滅ぼされ、捕虜にされたが、逃げた
集団が、少数存在していた。

それが、失われた10支族である。

捕囚とならなかった旧北王国の住民は、統制を失って、
他の周辺諸民族の中に埋没し、次第に10部族としての
アイデンティティを失った
、といわれる。

つまり、混血による同化である。

どの部族が、どういう背景で、倭に逃げてきた
かは不明である、が、確実なのはガド族とマナセ族である。

ガド(みかど)族と天皇家の関係は、詳しくは不明。

越国、越人は、上記のように、夏の時代由来の、
ユダヤ、縄文、或いは、東ア方面を祖先とする民族である。

BC500年頃から、山東半島、朝鮮を経由して
北九州に移動、縄文やユダヤ系王朝と、鉄器や
水田事業を始める?

理由は、戦乱状態の大陸王朝に、食料や武器を
売りつけるためである、知らんけど。

秦の建国は不明、ネットには、非子としか書いてない。

こやつらの一部もレビ族であり、後に、秦氏
呼ばれる末裔が、日本に渡来する。

秦の法家主義は、もとはユダヤ教なのはいうまでもないが、
エジプトやローマなど、欧州の統治法が組み込まれておる。

孔子や韓非子もユダヤ人の血縁であり、恐らく、
最終的には、日本に渡来しておる。

越人、真番族、出雲族系統は、同族である。

後の新羅は、シルクロードと、倭の、中継地点の一つである。

南朝鮮諸部族の一部が、後に辰韓(秦韓)と呼ばれる。

海洋文化は、最初から縄文にあり、呉や越の、
海洋技術を吸収したものである。

呉の、支配層が、ジャック・マー的に逃げてきた
との仮説があるが、不明である。

広島の呉らが、呉国の痕跡との仮説があるが、
この説は、多分、違うようである。

2に続く!


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