デブはなぜサスペンダーをするのか(100日目)

毎日書くやつもいよいよ記念すべき最終回なので、デブのズボンがいかにずり落ちるかのメカニズムでも書こうと思う。

まず皆さんご存知かと思うんですが、デブの腹は前にせり出している。
その腹を服で包んだ曲線は、背が高い人だとうまく包めたオムライス、低い人だと仙台銘菓萩の月に似ている。
そういうおいしくて体に悪いものが積み上がってできた丘を、デブはひとりひとり、大事に抱えている。

ところで皆さんは、なぜ一線を超えたデブがサスペンダーを使いがちなのか、ご存知だろうか。
(その姿が想像できない方は、例えば在りし日の芋洗坂係長などを検索していただけるとなんとなく腑に落ちることかと思うが、想像できなくても「まあそういうものなんだな、知らんけど」くらいのスタンスでいていただければ世界は平和だと思う。)

デブ丘の下腹を、ベルトを巻いたズボンがいつも滑り落ちていくからである。

まず前提とすべきことは、「デブにはクビレがない」ということだ。
大事なことなので復唱してほしい。はい、「デブにはクビレがない」。

ここで皆さんには、デブに履かれる羽目になったズボンの身になって考えていただきたい。
生きていると理不尽な目に遭うこともあります。

さて、皆さんはズボンとして、それを履く人の社会的生命を守るために、その腰に必死こいてしがみつかなければなりません。
落っこちないように人の腰に掴まり続けるためにはどうすればいいでしょうか?

人の腰には骨というものがある。
たいていは腹回りのくびれた部分の下、左右にポコッといい具合に出っ張っているそれに、クイッとベルトを引っかければみんな幸せになれる。
時におしゃれ心を発揮した結果、より尻に近い部分でキープする必要がある局面も存在するが、基本的に尻は腰より太いので、掴まる場所をそこにすればいいだけの話である。

しかし問題は「その身に丘を抱えし者たち」……二文字で言うとデブである。

その「丘」というのはあくまでデブを寝転がらせた状態でその腹を見立てたものである。
改めてデブに履かれたズボンであるあなたの視点から想像していただきたい。イヤだろうけど。
あなたの頭上にあるのは萩の月を思わせる丘ではなく、そこにしがみつく者、乗り越えようとする者の行く手を阻む、絶望的な角度のオーバーハングなのだ。

ある程度までデブが進行すると、その体型はバスト・ウエスト・ヒップがほぼ同等の値という、数値上は茶筒のごときとっかかりのなさと化す。
そこをさらに過ぎると、なんというか「壺」っていう物体にもその漢字にも似ている体型になってくる。
(とりあえずズボン的にはどんどん掴まりづらくなるよね、ってことだけわかっていただければ大丈夫です。)

そしてよほどハイライズ(なんかハイ=ライズって書きたくなりますよね)でないかぎり、そのズボンの上端は真ん中に待ち受けるオーバーハングを乗り越えることはできない。
ただずり落ちて床にたたき作られるのを待つのみである。

ベルトでギッチリ締めつければなんとかならないこともないのだが、デブは腹をギッチリ締めつけられると呼吸や血行が詰まって死んだり、脂肪から生まれる内圧を逃しきれずに爆散したりすることがあるのでおすすめできない。
立っているときだけならなんとかなる、というのも危機管理という観点からあまりに甘い考えと言わざるを得ないだろう。
ひとたび腰かけるとそれまで垂直方向に多少逃がされていた肉がギュウッと山頂のあたりへと凝集された結果、丈夫な皮革で作られているはずのベルトが無残にはじけ飛び、甚大な人的被害が生まれる可能性もあるのだ。

おわかりいただけただろうか。
命綱もなしにオーバーハングを登攀しようというのは命知らずのやることなのである。
そして、その命綱こそがサスペンダーなのである。

しかしデブにとってサスペンダーの採用を決定するということは、じつはとても勇気の要ることだ。
それはすなわち、「私はもう一線を越えたデブです」という境界、ポイント・オブ・デブ・リターンを踏み越えて二度と帰らぬことを意味するからである。
恥も外聞も捨ててあわよくば「あえてのオシャレ」感を醸し出せるよう前を向くか、「わりと着痩せするタイプ」と言い張れる茶筒体型の世界へまだ戻れるのだと自分に言い聞かせて足を止めるか。

もし町中で、ずり落ちるズボンを数歩ごとに引き上げているデブ(おれとか)を見かけたら、どうか温かい目で見守ってほしい。
彼らはただ、座ってるときにキツいベルト穴と立ってるときにユルいベルト穴の間、サスペンダーとベルトの間で葛藤している、見た目に反してか弱い存在なのだから。

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