幽霊こわい(86日目)

藤野可織さんが最新エッセイ『私は幽霊を見ない』についてのインタビューで、「人はなぜ幽霊を必要とするのでしょう」という問いに対して、「幽霊とは『生きている時に上げられなかった声』なんじゃないか、というのがひとつの結論です」と答えている。この言葉は覚えておこうと思う。

自分はおそらくまったく霊感はないし、怪奇現象・心霊現象の類いに遭遇したこともほとんどない(全くないわけではないがおそらく心霊が原因ではない)。
でも小さい頃から、そういうこの世ならぬもの、見えないものへの興味はずうっと、油絵の下塗りみたいに静かに根付いている。
鬼太郎が大好きだったことや、小学生の頃に「学校の怪談」ブームが起きていたこと、いろいろな要因は考えつくけども、実際なんでかはよくわからない。

死が身近じゃなかったことが原因のひとつかもしれない。
近しい人が亡くなったりするような出来事には幸いにしてほぼ遭遇することはなく、周囲の人たちもおれをある程度意識的に死から遠ざけていたように感じる。
例えば母に、幼い頃昔に交通事故で亡くなった妹がいたことを聞いたのは、ずいぶん大人に近づいてからのことだった。

そのせいか、今でも幽霊が怖い。
ホラーは好きだけども実際に幽霊に遭遇したいと思ったりすることはビタイチない。
「いちばん怖いのは人間」という紋切り型をしたり顔で言う人の枕元にいっぺん大きな女の霊が現れたりすればよいのでは、などと無意味に呪いたくなる程度には怖い。
その台詞を言っていいのは平山夢明先生レベルの方々だけです!と真剣に思うし、逆にそのレベルの方々が書く人間は本当に恐ろしいのだが……。
そして現実には恐ろしい人間がある程度実在し、自分たちはたまたまそいつらに遭遇していないだけではあるのだが……。

おそらく、自分にとってまだ幽霊は他者なのだろう。
幽霊になってでも現れてほしいような人は、まだあまり亡くなっていない。恵まれていると思う。
まだきちんと読んでいないけど、奥野修司が3.11後の被災者の霊体験を集めた本を書いていたことなどを思い出す。家族や愛する人、果てはペットまで、あの震災で亡くなった大切な存在の霊を見た、という人がたくさんいたのだという。
幽霊の、「生きているときに上げられなかった声」というのは、その幽霊を知っている人の声だったり、その人が聞きたかった声でもあるのかもしれない。

そういえば昔2ちゃんのやる夫まとめか何かで見た、猫が亡くなってからその幽霊らしきものが家に出て足をスリスリしたりじゃれてきたりするので、ホッコリしながら夜中に布団に乗ってきたそいつの顔を見たら全く別の何かだった、という話がメッチャ怖かった記憶がある。
幽霊が自分たちの人生の文脈と一切関係なく存在し、自分たちの前に現れるのであれば、やはりそれはものすごく恐ろしい。

結局のところ、幽霊であろうと人間であろうと、みんな他者が怖いだけなのだろうか。

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