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ひばり

ひばり



 初めて気づいた時は「なんてとんちんかんな奴」とあきれてしまった。

 まだ朝の気配がないまっ暗な午前5時前。シーンと静まる深い夜。残業で煮詰まった頭を冷やそうと窓をあけると、4月の、ほんの少し夏の息吹を含んだ新鮮な空気が流れこんだ。
 私の机は、二階の、北西むきの窓に面していて、隣家の屋根のすき間から、田畑のひろがりと、数百メートル先の街並みと、群馬の山並が遠くに見える。国道17号ぞいだが、夜になると灯りもまばらで、時に夜行列車が走り抜ける妙になつかしい音が聞こえる他静かで暗い夜のとばりがおりている。

 窓をあけると、思いがけなくひばりがさえずり始めたのだった。

 お前もずれてるねぇ
 なぁにそんなにシャカリキになってんの

 ひばりのなんとも生真面目な孤軍奮闘という感じに、私は親近感と、自嘲まじりのおかしみを覚えた。

 4月に入ってから、仕事が集中し、残業の時間が長くなっていた。一日で考えると、時間は同じくらいなのだが、夜型へとますますずれてしまったので、子供たちと入れ違いでふとんに入る朝も少なくない。
 子供は慣れたもので、親をあてにしないで学校へ行く。夜中は集中できるので、ぶっつづけに仕事をしているとだんだんハイになる。へらへらとくだらない冗談を飛ばして相棒(宿敵?)と笑ったり、へらず口をたたいてみたりする。
 さて、もう今日はやめとこう。あとは明日、と言うが、もうその“明日”になっているのがおかしくて、オンチなふし回しで
♪明日という字はあかるい日と書くのね~♪
などとうたってみたりする。
 頭は煮詰まったようでもあり冴えたようでもある。要するにハイになっているのだ。ひばりの、突然のさえずりに、だから自分たちを重ねてしまったのだろう。

 次の日は耳をすませていた。やっぱりある瞬間何の前触れもなくいきなり、ハイテンションなさえずりが始まった。その次の日も。時計を見る。4時40分だった。日を追うごとにだんだん早くなっていった。少しずつ少しずつ早くなって、6月の初めには3時55分。

 北半球で昼が一番長く、夜が短くなる夏至(6月22日頃)を境にして、こんどは少しずつ少しずつ遅くなっていき、7月12日には4時15分になっていた。その後は気づかなくなってしまったが、私が思うに、あのさえずりは朝が生まれる合図なんだろう。

 ピチクリパチクリが始まって、5分後には空が闇色から深い藍色へと変色し、透明な青へと移ろっていく。
 あの青を何と表現したらいいのだろう。
 まるで青の洞窟だ。私は写真と映像でしか見ていないのだが、イタリア、カプリ島のあの青の洞窟(Grotta Azzura)の、空と海が融けあった輝くグラン・ブルー。

 でも空はその色のままとどまってくれない。刻々と明るさを増し淡い水色になる頃朝焼けが始まる。雲が、西陣織のように朱や紫、桃色、黄色の衣をまとう。今日はじめての光が射す。幻想のように世界が黄金色に染まり、薔薇色にきらめく。
 やがてなんということもない見慣れた朝の空になると人々が動き始める。

 ひばりの合図から約30分間、日々くり返られる朝の誕生だ。
くもった日も雨の日もひばりは飛ぶ。
太陽と約束したかのように。そして地上の私にも、何かのごほうびのように恩恵を与えてくれる。

 ひばりよ

私は信仰をもたない者であるけれど、お前に祈ってもいいかな。
大切な人が痛まないように
夜を怖れないように
新しい朝を、あしたも、あさっても、呼び寄せてくれるようにと。

          膵臓がんで余命宣告を受けた長姉を思って…。

             「もらとりあむ 12号 2003冬草」掲載           


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