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薫 1才半の夏のこと

 

ザワザワした人の動きが静まり、遠く、小さく「リリリ」という虫の音が聞こえてきました。百日咳の薫と2人で感染隔離の病室に閉じこもっていても、時は忘れずに季節を運んできてくれたのです。

8月23日、薫は 1才7ヶ月になりました。生まれて2度目の夏。今年も、初めての体験をたくさんして成長しました。薫と一緒に私も。
思わずほほえんでしまうような素敵な出来事だけでペンを置きたい気もするけれど、つらいこと苦い経験もこの夏の貴重な1ページ。
だから思いつくまま書きとめることにします。


夕立ち

私は雷が大好き。外へ飛び出したくなります。だから夕立ちが来ると家事をやめて、ベランダに出て眺めます。
ピカ!ゴロゴロ…ザーザッザーン
繰り返す音と光りのオーケストラに合わせて親子で足を踏みならし、ハーモニカをブースカ吹いて笑っていたら、向かいのドナルドおばさんがあきれてみていた…気にしない気にしない。

セミ

つかまえたセミを離したら薫のまわりを2回、ビューっと回って飛んでいった。薫はギャー!!!!と叫んで私にしがみついたね。

鯨波へ海水浴。初めての海はどんな感じだったのかな。薫は可寿子おばあちゃんと私に腕をつかんでもらって波を踏んで楽しみました。胸まで波が来るとウェーンと泣いてしまうばかり。

ピアノが大好き。カセットから流れてくるハードロックにお尻をふりふり、クラシックでは首をたてにふって味わっている様子。
「そう、そういう感じなの」とおばあちゃんもニコニコと見守っていました。

ことば

「トータン(お父さん)・カンパーイ(乾杯)・ナイナイバア・チッチ(くつ)・ドーツァン(ぞうさん)・チー(おしっこ、うんこ)・イテエ(痛い)・チッタッター(おっこっちゃった)・ママ(おかあさん、おばあちゃん・)ワンワン(動物)・テンシャ(電車)・・・」など意味のある単語が増えました。
時々は、「トータンキテー」 「チョッチャン、チッチットー(チョッちゃんおわっちゃった)なんて言ったりするけど、ムニャムニャの方が圧倒的に多いのです。
「ネー」と呼ぶので「なーに?」と答えると、それだけで満足してにこにこしているのがかわいいです。

保育園

「かおる、ほいくえんにいく?毎日ブーブー乗っていって、お母さんとバイバイしておともだちとあそんでる?」って聞いたら、薫は私の眼をしっかり見つめて「ウン」ってうなずいてくれました。
何度聞いても「ウン」って。
これは7月中旬、私が仕事を再開しようか、できるだろうかと迷っていた日の出来事。

経済的な理由と、私自身の望みから、薫が2才になる頃、働きに出ようかと考えていた矢先、元の職場から復職のチャンスが舞い込んで来ました。
社会人一年生で入職し5年務めた経費老人ホーム。思い入れのある職場です。
「このチャンスを逃してはならない」って強く思いました。「無理をしてでも」と。夫とも相談し、一度は「復職の意志あり」と答えたものの、勤務時間が保育園の保育時間からはみ出してしまうこと、そのはみ出した時間、薫を頼める人がいない。当面は宿直を免除されても、いずれは泊まりの仕事を引き受けることになる。
やはりできない…断る事にしました。

「出産のために中断するけれど、福祉関係の仕事に自己実現の場を築きたい」と夢を語っていたのに、イザという時になって動けなかったのです。
私はたじろいでしまったのです。仕事に出た一日のありさまを想像しただけで足がすくみました。

けれど、今は断った事を悔いていません。きっとまたチャンスはあるだろう。子どもとの暮らしを選びとったという前向きの気持ちになれたのは大きな変化。たぶん近い将来、働きに出ることになると思いますが、その実現に向かって第一歩が踏み出せた気がします。

「かおる、一日一日大切にしようね」
あれ以来、願いつづけていることです。


入院

長岡から戻ってまもない8月22日、薫は入院しました。百日咳と肺炎でした。数日前は海で楽しくあそべたのに「まさか」という気持ちです。
健康を過信していて手当てが遅れたこと。
帰省中、大人のペースで動いてしまったこと。
怒る夫を逆恨みした事。
それら全て自分が責められてなりません。検査や点滴の処置のたびに、薫がかわいそうで、すまなくて毎晩泣けました。本当につらかった。 

入院後順調に回復し、医師からも「オタオタすることはない。」といわれ少し落ちついてきました。
「病気のことは病院にまかせた」って覚悟したら、スッと軽くなりました。ありったけのものを背負いこんで一人で苦しんでいたのですね。

病院の不自由さに、薫も私もだんだんなじんできました。薫はなんと夜は12時間以上、昼も3~4時間よく眠りました。よく食べ、機嫌良くあそびます。点滴をしているので片方の手しか動かせませんが、いろいろ遊びを発展させています。「やっぱたくましいなぁ」と見習っています。

今日で入院4日目。
小児科病棟や産科病棟から子どもの泣き声が聞こえる夜です。                            


1987年9月1日「ひとりから 創刊号」収録

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