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手持ち無沙汰な左手がハルを探す

私の愛犬・ハルが死んでしまった。あまりにも突然すぎて、気持ちが追いつかない。散歩の時、いつもリードを持っていた左手がやけに手持ち無沙汰で…。どこかにハルを探してしまうのです。

ハル散歩が日課


ハルが私のもとから旅立って2日目の今朝、ひとりで散歩してみました。朝晩のハル散歩が日課だったから、やっぱり歩こうと思って。知っている人に会って「ハルちゃんは?」って聞かれたら多分号泣しちゃうから、いつもと違う遊歩道を選びました。

なんだか、ずっと、左手が手持ち無沙汰で、どんなテンポで、どこを見て歩けばいいのやら途方に暮れます。せつない思いが募るばかり。取り留めもなくハルのことを思い出して泣きながら歩いています。
用水路沿いの大きな樹々のある公園は涼しくて、蝉が鳴き、夏の風が通り抜けていきます。この公園もハルと歩きたかったな。

駅前の公園にて

ハルには苦手な場所がありました。橋とかトンネルとか知らない建物の中とか…。そんなところでは「無理! 一歩も動かない!」ってなります。20kgの中型犬を抱っこして歩くことはできず、私は「まったくもう、ハルちゃんなんだからー」と苦笑して引き返すほかありません。
散歩道は駅前までのロングコース、田んぼの中距離コース、お寺周りのショートコース、たまに郵便局までのお出かけコースがありました。


生後2ヶ月


紀州犬がうちにきた日


ハルは2010年2月6日生まれ。生後2ヶ月で我が家に来ました。
紀州犬の仔犬は一般的に、真っ白でコロコロしていて活発で、そりゃあ可愛いんですけど、初めて写真で見た時は、正直いうと少しがっかり。末っ子で栄養不足なのか、しょぼんと困った顔に見えたからです。
千葉のブリーダーさんのところで生まれて、吉見のブリーダーさんを通して紹介されたのです。「もう少し待てば、別の紀州犬が仔犬を産むよ」とも言われたのですが、娘のきづなと私は、鎌塚の家から箕田の家へ引越しをするタイミングで犬を飼い始めたかったのです。お姑さんとの同居のタイミングで。きづなが大学に入るタイミングで。新しい家族を迎えたかったのです。春の暖かいお日様のような新しい風がこの家に吹いてくれるように、春陽(ハルヒ)と名付けました。


土手の菜の花とハル


平和な空気をまとった犬


成長してもハルは困った顔のままでした。「日本犬の展覧会に出るにはちょっと足が短いね」と吉見のブリーダーさんに残念がられました。でも、もともと繁殖犬としてではなく、ペットとして飼うつもりだったのでなんの問題もありません。

むしろラッキーでした。紀州犬の特徴である三角の目は、一見すると気性が激しく見えますが、ハルは実に優しい穏やかな性格なのでした。その上、外飼いができる頑健な犬でした。誰にも吠えないし、雷が鳴っても、冬の寒さも平気でした。
闘争系な我が家には異質な「平和なゆるい空気」をまとった犬だったのです。


突然の別れ


7月20日の早朝、餌をあげようと玄関のドアを開けると、ハルは横になったままでした。いつもなら尻尾を振って嬉しそうに近寄ってくるのに、変だなと触れてみると、もう息をしていませんでした。
春頃から、だいぶ弱っていました。散歩しているとすれ違う人が振り返るくらい、ゼーハーゼーハー荒くしんどそうな呼吸でした。目も耳も悪くなっているようでした。でも餌はよく食べるし、排泄もしっかりできていて、獣医さんからは「病的なものでなく自然な老化現象ですね」と言われていました。

亡くなる前日までの3日間は、私たちが出かけるために、隣町のきわちゃんに預かってもらっていました。
夜、迎えに行った時も、きわちゃんと、「だいぶ弱ったね…この夏が越せないかも…」と話したのです。「私かハル、どっちが先かって感じよ」と冗談めかして私が言うと、きわちゃんが「そんときはあたしがハルちゃんを引き取るよ」って笑って請け負ってくれて…。82歳のきわちゃんにハルを託すのはさすがにできないけど、ありがたいことと思いました。

きわちゃんのうちでは、持って行った餌は食べずに、缶詰をもらって食べた様子。この日は、車の乗り降りも一人ではできなくて、ドキドキハーハーして、なんとなくいつもと違う感じ。明日、獣医さんで診てもらおうかな、今夜は玄関に入れようかな、って気がかりに思いながらも、旅の疲れもあって私はそのまま寝てしまいました。
「また明日ね、ハルちゃん」といつものようにからだを撫でながら声をかけて……。

いつも笑ってる

私の病いとハルのゆくすえと


昨年、乳がんの再発がわかった時、真っ先に考えたのが、ハルの行く末でした。今年6月に乳がんからの脳転移疑いを指摘されてから、ハルの預け先の議論はさらに加速しました。
ありがたいことに、花ちゃんのご両親と栃木の娘家族が手を挙げてくれましたが、加須にあるペットケアハウスに長期滞在型で預けることに決めました。これから介護が必要になる老犬ですから、専門の施設が一番安心できると判断したのです。
私がもし意思決定できなくなった時には、きづなが私に代わってハルを守ると約束してくれたので、「これでハルのことは大丈夫」と安心していました。

とても矛盾しているのですが、一方では安心して長生きしてほしいと願いながら、心の底では、「私が元気なうちにハルを看取れたらいいな…」と私はずっと思い続けていたのです。家族ともそう話していました。誰にとってもそれが一番いいよね、と。

そして思っていた通りの結果になってしまうと、「これで良かったのだ。ハルは寿命だったのだ」という理性の声と、「私が病気でなかったら、ハルはもっと長生きできたかもしれないのに、かわいそうにね…ごめんねハル…」という感情が入り乱れて胸が塞がれるのです。

14歳のハル

ハルは気ィ使いだから…

ハルが14歳5ヶ月で突然死した日。夫はゴルフをキャンセルしてうちにいてくれました。きづなは、ペット葬儀社に手配してから、仕事を休んで駆けつけてくれました。孫たちもスマホ越しでお別れができました。まだ2歳半のすずちゃんが「ハルちゃん、おきてー」とかわいい声をかけてくれました。
夕方、花ちゃんも来てくれました。17時にペット葬儀社さんが車内火葬にきてくれて、みんなでお別れをしました。私が短期で出かけるとき、餌やりと散歩をやってくれていたお隣の親子も、一緒にお骨を拾ってくれました。

リビングにハルのお骨を安置して、花を飾りお線香を立てて、
「ハルは気ィ使いだから…」「きっと空気を読んだんだね」「これでよかったんだよ」「ハルらしい潔いさいごだったよね」そんなふうに慰め合っています。

だけどまだこんなにもさびしい。
泣きすぎて、頭や背中が痛くなり、ぼーっとしてしまいます。


10年前のハルと私「お母さんっ子」きづな撮影

優しい娘


ハルは本当に優しくていい娘だったので、きっと無事にあちらへいけると思います。苦しそうじゃなかったのが救いです。見つけたとき、もう息をしてなかったのですが、家の中にいれようと抱き上げたら、尻尾をぴくりと振ってくれました。気のせいかもしれないけど、お別れの挨拶をしてくれたように感じました。
すべてがハルらしいなぁ…。私に一度も介護をさせずに、いつもの慣れた居場所で、あっさり一歩を踏み出して、うっかりあちらの世界へ行ってしまったみたい…。今頃、目覚めて「あれっ? ここはどこ」ってキョロキョロしているのじゃないのかしら。

「ハルちゃん。そこで待っていてね。そしていつか迎えに来てね。頼むね。おかあさんが天寿を全うする日には、一雄さん(父)、きよちゃん(母)、芳江姉ちゃんと一緒に、忘れずに迎えに来てね」と遺影に呼びかけています。


チラシの一部

感情の振り幅が大きくて


ところで、葬儀社を待つ間ずっと泣いていたかというと、そうでもなくて、気の休まる時間もありました。「こんな時は料理するのがいいんだってよ」ときづなが言い、冷や汁を作って食べたり、スイカを切って食べたり、親子で川の字になって昼寝したり…。

そして、9月のイケコライブのチラシをきづながパソコンで作ってくれて、イケコさんと共有し印刷入稿。情報公開しました。
内緒ですが、チラシの端っこにハルの肉球も…(みててね、ハル)。
おかげさまでライブは一日で満席となり、増席するほど、幸先の良いスタートです。鶴田栗原珈琲さんに記念日焙煎も注文しました。

そんなふうに、今は、楽しい嬉しい心弾むことと、ものすごく悲しいことが交互にやってきて、笑ったり泣いたり大忙しです。
そのどちらも、私の生きる意欲、チカラの源泉になってくれているのです。

最近愛犬を亡くしたばかりのイケコさんが私にかけてくださったことばを、深くかみしめています。

「ワンコたちは、精一杯生きました。神山さんも、私も、ワンコの分や、誰かの分は生きられないけど、自分の分はちゃんと生きよう! 」

              2024年7月22日

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