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光のしずく


詩の一節がずっと頭の片隅に残っていることはありませんか?

「わたしが死んだら黒姫山に骨をまいてほしい…」たしかそんなふうなことばだった…黒姫にゆかりのある作家か画家か…。あれはどこで読んだのだったろう。

黒姫高原に足繁く通っていた頃に、となりを歩く親友にふと呟いたことがある。
「もし私が死んだら、私の魂はきっと、このあたりをふうわり飛んでいるだろうから、私に会いたくなったらここに会いに来てね」と。
「骨はお墓にあるだろうけどね」と付け加えるのも忘れなかったから、私たち夫婦が市内の永代供養墓を終の住処に選んだ60代初めだったかもしれない。

まだ、乳がんが見つかっていなかったときの話だから、私は遠い未来を想像して気楽に笑っていたし、里枝ちゃんも笑顔で「わかった。そうするね!」と頷いてくれた。どこかで読んだ詩の一節とその時の思いが違和感なく、すっと重なったのかもしれない。

今、この話をするのはやや抵抗がある。
あの時とは事情が違っているから。
遺言めいて、やけにリアルに響いてしまうかもしれない。どうリアクションしようか困らせてしまうかもしれない。

けれど、私はやっぱり今も同じように感じている。「時が来たら、私の魂はあのあたりをふうわり飛んでいるだろうなぁ」と。そしてそう思えることが悲しみのない深い安らぎにつながっている。


ところで、私は、2023年5月27日から信州に4泊5日の旅をした。
2月に受けた腎がんの手術から回復し、久しぶりのひとり旅。暮れに乳がんが再発して、4月から抗がん剤エンハーツによる延命治療が始まっていた。副作用もそれなりにあったけれども、思いのほか動けて、ご飯も美味しく食べられた。何よりも、待っていてくれる人がいる旅はありがたい。故郷への帰省のように安心してくつろげる。私には帰れる実家がないから、余計にそう感じるのかも知れないが…。

1日目は、佐久望月の森を森のガイド池田雅子さんに案内してもらった。日帰りで同行してくれたイケコさんと一緒に、古い森と新しい森へ。7月11日のイケコソロライブに想いを馳せながら静かな森の時間を過ごした。

その晩は「黒姫高原ペンションもぐ」に宿泊。長野の友人・小林素子さんが合流してくれた。惠子さんのご馳走も久しぶり。



2日目は、地元の吉川和子さんと素子さんと私の3人で妙高・いもり池周辺を散策。和子さんのお宅で特製のお稲荷さんをご馳走に。趣味を愉しむ心豊かな暮らしぶりに憧れる。私はどうしてこうもジタバタ無いものねだりをしているのだろうかと…。


「ログペンション・セシルクラブ」に宿を移して、そこからはひとり旅。

3日目はおじか池と黒姫童話館周辺を歩く。池のほとりの東屋に寝転んでずっと雨音を聴いていた。雨の森はヒーリングミュージックに満ち満ちている。


4日目は象の小径から野尻湖まで森歩き。象の小径は森林メディカルトレーナーさんたちと何度か歩いた遊歩道だけれど、1人は初めてなので少し緊張気味。野尻湖畔の「舟小屋」でお茶。6キロも歩けた自分に感動しまくるが、夜は筋肉痛。

5日目は宿の周辺を早朝散歩。溢れる緑と可憐な花々が心地よくてどんどん歩ける。
そんなふうに毎日、歩いたり、本を読んだり、昼寝したり、好きな時間に入浴したり、ゆっくり食事を味わったり…。思い描いた以上のリカバリー旅行を満喫できた。抗がん剤というハードな治療の後に、こんなすてきな時間を持てたことを本当に幸せだと思う。毎回は無理だけれど、また訪れて冬眠するみたいに休息できたらどんなにいいだろう。
ご縁をくださったみなさま、本当にありがとうございます。


さて、話を元に戻すと、この旅の中で思いがけず謎が解ける展開があった。旅の3日目に立ち寄った黒姫童話館のミュージアムショップで、ひょっとしたらと思い尋ねてみたのだ。

「あのぉ…うろ覚えではっきりわからないんですけど、松谷みよこさんだったか…いわさきちひろさんだったか…わたしが死んだら黒姫山のどこかに骨をまいてほしい…みたいなのを、なんかどっかに書かれていませんでしたかねぇ?」と。
店員さんはご親切にも学芸員さんを呼んでくれて、顔見知りの彼は「それならこれでしょう」と一冊の雑誌を棚から出してくださったのだ。ドンピシャ。これだ、これだ! 学芸員さん、さすがです!



『童話の森通信』VOL.9 (信濃町黒姫童話館発行)の11ページに、松谷みよこさんの詩「わたしがいじめられていたころ」は掲載されていた。
改めて全文を読んだ。黒姫の山荘をこよなく愛し、そこでたくさんの本を執筆し、訪れた友人たちと語り合っていた松谷さんの思いと、悲しみ苦しみ絶望に寄り添う心が伝わってくる詩だった。

この詩が呼びかけているのは、いじめで苦しんでいる人。私は後半をうっかり忘れて、「わたしが死んだら黒姫に…」というフレーズだけを覚えていたのだった。でも、松谷さんご自身が黒姫という場所で救われたり解放されたりした経験があるからこそ、このような詩が書けたのだろうと思えるし、その部分は私自身の経験とも重なってくる。
私の人生のターニングポイントは黒姫の森歩きから始まったのだから。

「耐えて 生きつづけ トンネルから這い出し 日の光のしずくをひたいに受け いま 生きているわたし」

松谷さんがことばにしてくれたような〈生きている実感〉を、私も黒姫で再発見することができたのだから。
私にとって黒姫の森は、やはり、ほかとは違う特別な場所。
いつかはわからないが、命を全うした時に魂が帰ってこられるところ…。
帰りたいところ…。
なんの根拠もないけれどもそう信じられる桃源郷なのかもしれない。

ずっと頭の片隅に残っていることばはありますか?




「わたしがいじめられていたころ」  松谷みよこ

わたしが死んだら
黒姫山の
白樺がさやさやとそよぎ
谷川のせせらぎがきこえてくるあたり
ベニバナイチヤク草の集落のちかくに
散骨してね
野の花になって咲くからね
そういってたのんだら
ちいさな声でだれかがいいました
咲くならきっとアザミの花よ

ごめん いまのはジョーダン
いいえ 半分は本音でしょ
みんなで笑いころげながら
ふとわたしは
わたしがいじめられていたころの
わたしの詩を思い出していました

あのころわたしは
死にたいといつもおもい
まざまざと一つの墓を
思い浮かべていたのです

雪が降り積むこともないでしょう
雨がしとしと降ることも
まして日の光などこぼれることもない墓

花など供えないでください
いじめたひとたち
みてみぬふりしていたひとたち
だれひとり こないでください

耐えて 生きつづけ
トンネルから這い出し
日の光のしずくをひたいに受け
いま 生きているわたし

長い年月がたって
高原の花になって咲くからねえ
そういっているわたしは
しあわせなんですねえ

いま いじめられているあなた
死をおもうことは
止められないけれど
でも死なないで
きっと 長い長いトンネルから
脱けだせる日がくるのだから

いま生きているわたしからの
それは おねがい

(「日本児童文学」1995年4月号に発表)
『童話の森通信』VOL.9 信濃町黒姫童話館発行

                       もらとりあむ55号収録



【追録・親友が見た夢】
私ね、あの話を朝ちゃんとしたときのこと、よく覚えているよ。そして、よく思い出すの。あのとき、私がした話も、朝ちゃん、覚えていてくれるかな?夢の話。

黒姫の池の畔の草原、夢のなかでもまちがいなくそこだと私は思ったの。そこに神様が立っておられて、朝ちゃんと私は、草に跪いてお願いをしていました。ひれ伏してというんじゃなくて、お父さんに向かって、娘たちがお願いしているような、素直で一生懸命な感じだったな。

二人でお願いしていたのは、「私たちが二人で最後まで助け合って生きられるようにしてください」ということでした。

すると神様は、「それはかまわないが、他のことでは苦労することになるかもしれないよ。それでもいいのかね?」と聞きました。

それで私たちは、声を合わせて「かまいません!」と応えていました。

夢はそこで終わり。
だから、神様がどう答えてくださったかわからないんだけど…でも、きっと私たちの願いを叶えてくださったんだと、私は信じているの。
だから私も、黒姫の草原は、私たちの魂が二人一緒に降り立った場所、現世を超えて、いつでも朝ちゃんと会える場所だと思っているよ。里枝子

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