ポートレートを続けている理由
前回はポートレートとは関係のない記事を書きましたので、今回はちゃんとしたポートレートモデルらしい記事を書きます。
これまでのノートをご覧になっている方はご存知のとおり、私の記事は文章を長く書くように心掛けています。
心掛けているのですが、文才と言われるものがあまり無いため読みづらく思わせてしまってるんじゃないかしら…と考えたりします。
それでもこうしてノートを書いているのは、自分の中に伝えたい思いが沢山あり、それを表現できるものがポートレートの写真であったりこのようなノートであったりしますので、今日もまた書き連ねている感じです。
はじめは承認欲求から
私がポートレートを始める理由としては、「私が一番だから」とか「絵画のようになりたいから」とかなんだとかカッコつけて言う必要はまったくなくて、ただただ純粋に今の自分が一番美しいからそれを形に残したかったという思いからでした。
われながら、今の自分が一番美しいとか凄い自信満々なこと言っていたよなぁ…と思ったりもしますが。
自撮りとかSNOWだし。
スタートは多くの人に認められたかったからなんだと思っています。
見た目はそれなりに目立ちましたから、勤め先の会社にいても、学生時代の友達と遊んでいても、しきりに言われていた言葉は「美人だね」「綺麗だね」と言われ続けていました。
自分自身も謙遜する事はなく、「ありがとー」とか言っていたもんだから女の友達はすべからく去っていきまして。
なぜ居なくなっていくのだろう、なぜ長続きしないんだろう、と悩むようになりました。
しかしながら、美人だのきれいだの言うくせに、彼女らはちゃっかりと陰口も言ってまして、その内容を風のうわさで(もとい別の女の子から)聞いたところによるとまたまた愉快なことを言ってましたね。
「司って残念な美人だね(笑)」
「顔はキレイだけど性格悪いナルシストだよね」
他にも色々言われてました!
わーショック、ふえぇ…となる訳もなく。
直接言えばいいのになぁ…と思ったりしてました。
お●松さんで言うト●子ちゃんみたいな感じで彼女らのことを見ていたとでもいいましょうか。
僻むくらいしかのうがないのかなぁ…と思ったりしてました。
私自身、人見知りであったり上手く話ができなかったり、どうやって人と距離をはかろうか悩んでいたりしていたのもあり、まぁ要するに人付き合いが物凄く苦手でありました。
そのため、「直接言えやこのやろう!」的なことは私自身も言えず。
どうしたら黙らせることができるだろうか、と考えてました。
その時思い出したのが、学生時代の先輩がやっていたポートレートモデルの世界でした。
さて、ポートレートとひとくくりに言われましても、それってなぁに?とピンとこない人のほうが多いのではないかと思います。
ここで私なりのポートレート論をまとめてみますので、ポートレートってなに?って聞かれたときの参考にしてください。
ポートレートとは
ポートレイト表示 - 長方形の画像や写真・絵画を縦長に表示または陳列すること。肖像画が縦長の画角で描かれた事に由来する。逆に横長に表示または陳列する場合はランドスケープ表示と云う。
(ウィキペディアより引用致しました)
つまりは、写真の他に絵画といった芸術的な作品もポートレートと呼ばれているということです。
日本のポートレートを見てみましょう。
ツイッター、インスタグラム、もちろんインターネットブラウザでも、その言葉を調べるだけで沢山の写真がきらびやかに出てくると思います。
私自身の解釈なので気を悪くされてしまったら申し訳ないのですが、日本のポートレートはいわゆる「グラビア」「アイドル」に近しいものを感じます。
カメラに向かって女の子が(もとい女性が)笑顔を向けているものが圧倒的に多いように思えます。
彼女たちは自分たちの活動のことを「モデル」とは言わず「被写体」と言います。
世界規模でのポートレートはどうでしょうか?インスタグラムが便利なので私自身色々調べてみましたが前述しました「グラビア」「アイドル」と言うよりかは、「写実的であり芸術性の高いもの」が圧倒的に多いように感じました。
そして個性のとても高いもの。
写真めっちゃ乗せたいのですが、肖像権ないし色々あると思うので気になる方はご自身で調べてみてくださいね。
私の感じるポートレート像は圧倒的に後者なのです。
つまりは、自分のことを「被写体」と呼ばず「モデル」として個性を確立できる存在になりたい。
そのため私はこういった活動を続けている。
作品ってなんなんだろう?
次に湧き上がる疑問はおそらく、いろんな人のプロフィールに書いてあるもの。
それすなわち、「作品」だと思います。
この捉え方に関しましても、考え方は千差万別と言いましょうか、色んな観点で考える方がいらっしゃる。
私の考え方を話しますと、作品とは「額縁に入れて飾れるか否か」になってくると思います。
記念写真となってはいけません、誰が見ても「美しい」と思えるもの、それが私の中の作品になるのです。
創作活動やコスプレイヤーとしてとても芸術的かつ文化的に活動されている方もいらっしゃいますが、彼らの写真は額縁に入れたり、フォトブックにして愛でてみたり、色々できますよね。
なぜならその写真を「創る」ために相応の「努力」をなさっているから。
ポートレートも同じように、「作品を創る為の努力を双方しなければなりません」ね。
撮影者、モデル、どちらかがその努力を疎かにしてしまったらそれは作品と呼べなくなってしまうことは明らかです。
そのため、「作品」を創るのであれば相応の覚悟を持ってやらねばなりません。
私は誰が見ても美しいと言ってもらえるような作品を創って行けるように努力したいと思っています。
まだまだ理想の姿とは程遠いのです。
協力をくださる方として、一番わかりやすいものはツイッターやインスタグラムで言う「フォロワー」になります。
フォロワーが多ければいいというものではありません。大切なものは、フォロワーの質なのではないでしょうか。
私は、私の作風や人間性を好いてくれる人であれば喜んで交流いたします。
つまりは、「司という人間を認めるもの」を認めたいのです。
彼らは、時として多くの力をくださいます。
作品に対する助言ですとか、撮影に協力してくださる方ですとか、モデル仲間として切磋琢磨できる関係性ですとか、単純に司が楽しい!と思ってくださる方ですとか、多くの方に、多くの力を頂いています。
なので、私もどうにかしてそれをお返ししたいので、このようにポートレートモデルとして活動しているのです。
自身がこれからどうなっていくのか、全く検討もつきませんが、なりたい自分へなれるまでそうそうこの活動をやめるつもりはございません。
ここまで読んでくださりありがとうございました、他の記事も読んでいただけるとウヘヘヘ…と笑って喜びます。