映画『未来を花束にして』を観て

舞台は今からおよそ100年前、1912年のイギリス。女性の参政権を認めるべく闘った女性たちの、実話を基にした物語。主演に「わたしを離さないで」のキャリー・マリガン。ひとたび登場すると、彼女なしでは作品が成立しないほどの存在感が魅力のヘレナ・ボナム=カーター、さらにメリル・ストリープも共演。こんな贅沢な映画はやはり大スクリーンで観たかった。

ガツンとくる映画だった。男性や男性社会に支配され、女性は社会的な活躍や学ぶことも平等に権利を与えられていなかった時代。家庭を捨て、子供を手放しても、手に入れたいと思った参政権。私たちが今、権利を手にできているのは、彼女たちのような先人のおかげだということが、ずっしりと重みをもって伝わってくる。

夫や工場長、警察、政治家、すべての男たちに認められず、時には暴力さえ振るわれ、子供さえも奪われてしまう時、スクリーンを見つめていた私は体中の血が沸き、熱くなるのを感じた。男性と同等に扱われないことに、現代の私が共感するのは、日頃そういうことを心のどこかで感じているからかも知れない。

私が主人公のモード・ワッツのように生きられるかといったら、できない。勇気がない。家族とは離れたくないし、殴られるのも嫌だ。拷問だって怖い。でも彼女たちが祈っていたように、次の世代の子供たちを同じ目に合わせたくない、未来に希望を繋ぎたいというのもは同意できる。それでは、私は次の世代に何が残せる? この映画を見終わって、私の中に強く、大きく残ったことだ。

また、この時代の男と女の関係を、何とか現代の私の周囲のことに置き換えようと試みてみた。あるとすれば親と子か。子供が特に小さいうちは、育てるという点からして、親は絶対という場面が出てくる。子どもの権利条約は存在するし、大切に思う気持ちは親なら誰だって当然ある。しかし、時々、親という立場に甘んじて、軽くだけれども本人の尊厳を奪うような言動はしていないのか。点検をするように、たまに自分を疑ってみてもいいと思う。 

ラストに描かれる衝撃的な事件をきっかけに女性参政権運動はイギリスのみならず、世界に影響を与えていく。エンドロールに登場するが、世界で初めて実現したのはニュージーランド。イギリスよりも前、日本より半世紀前の1893年のことだ。

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