見出し画像

愛別離苦。あれ以前とあれ以後に分断されてしまった私の人生。

書くか書かぬか、相当迷った。
書けば全てを晒すことになる。が書かねばあっという間に風化してしまう。
結局、彼女が生きた証とあれから私に起こった事を綴りたい気持ちが勝った。


2019年10月末、次女が33歳でこの世を去った。5歳の娘を残して。

忘れもしない10月26日は土曜日で、私は3か月に一度の英語仲間との飲み会だった。いつもの居酒屋から駅前のカラオケ店に席を移して、一曲目を入れようとしていた時、娘婿から電話が入った。

次女が頭が痛いと言って、倒れ込んだまま意識がないというのだ。

救急車で運ばれたのは、最新の県救急医療センター。
駆け付けた時は、夜の10時頃になっていたと思う。

何の説明もないまま、待合室でかなり待たされた。

これはただ事ではない。
と言うのは分かってた。

緊急手術になるのか?
長い入院を覚悟をしなければ…
後遺症とか残るのだろうか?
リハビリは?
孫の世話と病院で大変なことになるな。

しかし、「死」という言葉は浮かばなかった。

なぜなら、現代ではどんな状態でも一応は助かってるからだ。

今や300gの低体重児でも育つし、身体の9割を火傷した放火犯でも生き延びている。


ようやく主治医の元へ呼ばれた。
集まった家族に画像を見せながら、医者は言いにくそうに、

残念ながら「脳幹出血」で、命の保証ができない。
万が一助かっても植物人間です。

と言った。

私は日本メンタルヘルス協会で心理カウンセリングの勉強をしていた。
その時に脳の構造のところで、何度も何度も「脳幹」のことを教えられた。

「脳幹」は動物脳で、ここをやられると生きては行けない。

ということは?
彼女は助からない、
ってこと?

脳幹やられるって生命の基本活動が維持できないんだよ。
だから、もう助からないんだよ。

その理論は理解できた。
この先、彼女がいないシナリオに人生を書き換えなければならない。

が、感情がこの事実を飲み込めないでいた。

次女はずっと元気で、

倒れた当日も夕方まで公園に居て、
娘が自転車に乗れたと喜んで、
家族Lineに動画を送って来ていた。

そんな彼女が急に亡くなるなんてありえない。


これは何かの間違いだ。

奇跡が起きて意識を取り戻すはずだ。
医者は自己保身の為に、大げさな事しか言わないからな…

何年か後に「あの時は最悪の事態を覚悟したけどな…もうびっくりさせて」と言って笑いあってる姿が浮かんだ。


結局、主治医の予言通り、3日後に彼女は息を引き取った。


私は実はあれから号泣したことがない。
決して無理をしているとか我慢しているとかでなくて、涙すら出ないという状況。

映画を見ていて
「え~、これで終わり??」と思ったことはないだろうか?

「うっそー!」
たちの悪い冗談や。

まさにそんな心境。


iPhoneにgoogle フォトが「この日の思い出」を載せてくることがある。

最近では写真を見る時、
これは彼女がまだ居てたのか?もう居なかったのかな?
で考えるクセがついてしまった。

私の人生は完全にあれ以前とあれ以後に分断されてしまった。

一瞬で人生のシナリオは書き換えられることがあるのだ、
強引にそして不意に…


#愛別離苦  






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?