気になる表現「最高」

今回の記事は、頭のカタい私の、往年の謎が氷解するシリーズです。シリーズと言っても初回なのでバックナンバーはありません。

早速ですが、私が以前から気になっていた「最高!」という言葉について。作品に対する感想として「最高」という言葉を選択することについての是非を問う動きは、以前から私の頭の中で活発化しつつありました。

文字通りとらえれば「最も高い」という意味をつくり出すこの言葉。ある小説を「最高」といってしまえば、それは他の小説すべてを凌ぐ大佳作の誕生を示す祝いの言葉であるともとらえられます。

しかし、そんなに「最高」の評価を乱発されたら、どれが本当に良い作品なのかわからず困ってしまうし、大体その人その人が発する個々の「最高」に付き合っていたらいくら鑑賞時間があっても足りなくなってしまいます。

「人によって作品の良し悪しは違う」「趣味の問題」などとお茶を濁すこともできますが、私の疑問センサーはそんなことで警告音を止めてくれそうにありません。

日夜種々のSNS上で発信される「最高!」の声。
目にするたび食傷した時期もありますが、今はちょっと違います。

だいたい、「最高」という人たちにとって、そもそも"何"が最高なのか?
思えば、その点を全く考慮していなかったんですね。

例えば、映画を見た感想として「最高」と言うなら、これは一見「映画の出来が最高だ」という絶対的な定義に見えますが、それはあくまで見方のうちの一つです。

出来がどうあれ、結局、汎ゆる作品には観測者がいなければ価値は永久に生じないし、返して言えば、観測者の心の動きこそが作品の持っている力そのものであるはずです。

つまり「最高」という感想は

「作品Aは最高の価値をもっている」

という、価値観の押し付けがましい主張であるというより、むしろ

「作品Aによって、いま私は最高(レベル)の心的高揚を催している

という、あくまでプライベートな、内的な高まりの発露と言った方が正鵠を射るように思います。もちろん、作品の出来栄えや作者に対する礼賛も含まれているとは思いますが、後者の方が角も立ちにくそうですね。

心をまったく動かされることなく、ある作品を激賞することは難しいはずです。だからこそ口を衝いて出る「最高」という言葉は、その作品を客観的に評価する言葉としては、いささか目が粗いかもしれませんが、自分の心が確かに揺さぶられたのだという素直な報告の言葉として、2019年現在、いまだ高い汎用性を持っているように感じられます。

こんな経緯で市井の「最高」をようやく許せる(おこがましいこと限りないですが)ようになった次第です。わだかまりが解けて、最高の気分ですね。

<まとめ>

「最高」という感想は作品の絶対評価ではなく
個人の心的高揚の簡易提示を担う便利ワードである

それではまたいつの日かお目にかかります。

(不定期更新)

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