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週報71(2019.10.14〜10.20)

週報の時間です。

今日はラグビーのワールドカップ南アフリカ戦を観ました。ラグビーというスポーツには闘球という言い方があるくらいで、ルール上タックルがよしとされるダイナミックな競技性については驚嘆の一言です。試合としては敗北を喫したものの、ノーサイドまでの敢闘と、8強入りの素晴らしい功績に敬意を表したいと思います。

○最後まで戦う意味

ラグビーの南ア戦では日本側の反則をきっかけに相手チームの得点を許す局面が見られました。後半戦では、観客の間にいわゆる「あきらめムード」が漂い、憮然とした(絶望に支配された)表情で敵チームの猛攻をただただ見ている様子が中継カメラによって捉えられています。

その後、日本コールが起こるも、これは勝利への応援というより、試合を戦い抜くことそれ自体への応援へと、その歓声の性質が変わっているのがわかりました。

私も格闘ゲームをやる都合上、追い詰められた時のつらい精神状態というのはよくわかります。競技の性質は異なりますが、巻き返しが絶望的に難しいときの立ち居振る舞いということについては相通ずるものがあると思っていて、それは最後まで全力で戦うべきだということです。それは、他でもない選手自身のための選択です。

大きな点差をつけられてしまうと、試合を放棄したくなりますが、ここで脱力したプレーをしてしまうと、あとになって「あそこから本気で奮闘していればあるいは」といった悔悟が生まれます。これは後の禍根になります。

さらに、つらい状況で全力を出すことは非常に過酷な労働となるので、大変な鍛錬になります。翻せば失意の底にあってすら闘う意志を見せ続け得たということは意味ある経験値になるのです。

最後に、その諦めずに挑む姿は、観測者に訴えかけるものがあるということです。観客は選手の一人ひとりに自分の人生を重ね、彼らに希望を託し、痛みや苦しみ、そして喜びをともにしています。観客にとって、選手たちは自らの分身のような存在です。その人達にはやはり堂々とプレーしてほしいし、礼節をわきまえ美しくあってほしいと思うのが人の性(さが)と思います。

如上の話も、効率という次元で考えれば徒労としか捉えようのないことです。しかし勝てるから戦うとか、負けるから戦わないとか、そういうレベルでは到底把握しきれない問題が間違いなく存在するし、この問題が人間を難しくも面白くしているのではないかと考える次第です。

○締め切りを諦めない

CD即売会のM3まで残すところ1週間。CDの仕上がり状況としてはかなり厳しいです。そう、観客が選手に自分の人生を重ね合わせるだの、勝ち負けじゃないだのと言っていたのは、つまり他でもない私自身のことなのです。

M3で頒布するのは過去曲1曲に新曲2曲を加えた新譜。2曲とも仕上がっていませんが、絶対に間に合わせます。グッズもたくさん用意しました。まだ用意できていませんが。

今週中にクロスフェード動画と告知を出します。それまでお待ち下さい。

○また来週…

今週のYouTubeは登録者数3450人で、先週から20人の増となりました。M3までに3500人まで伸びてもらう計画は、さすがに無理か。いや、無理だとしても意味はあるはずだ、最後まで戦うことに。

それではまた今度、お目にかかります。

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