注文哲学

6月も足早に過ぎて7月に入り、七夕を終えて、世は間も無く夏休みといいたいところだが、コロナのことがあるので、学生たちは“ロスタイム”を戦わされることになる。つまり、例年よりも2週間ほど遅れて夏季休暇がスタートするわけだ。

文月中頃のそんな折、昼過ぎの喫茶店に入る。時間帯も手伝って客足はまばら。カウンターへ進み店員に声をかけるが、作業に集中していて私に気づかないらしい。もう一度声を出すと、こちらに向き直って、待たせたことを詫びつつ、応接してくれた。

マスクは外せないので、それ越しに「アイスティーを一番小さいサイズで」と頼む。少し発声が不明瞭になったろうか。然しその不安を余所に、スタッフはレジの操作盤に指を踊らせ商品の価格を表示させる。いつもより値段が30円ほど低い。これいかに。刹那の後気付いたが、私の依頼は「アイスコーヒー」の注文として受け取られていたことが理解された。

さて、十七条の憲法に和を貴ぶ精神の肝要が解かれて久しい。心の中の太子に説諭され、その場の和を重んじることにした。つまり、スタッフには私を“待たせた引け目”があるので、オーダーの誤りを指摘すれば、二重の悔悟を強いることになる。場の成り行きとしていい趣味でない(なお対応してくれたのは新人の学生スタッフ)。

私は注文の錯誤について何も言わず、釣り銭とアイスコーヒーを受け取ることにした。ただ、それを顔に出してはいけない。注文を間違えられたのに文句をつけない寛容な客、という構図でものを見ると、妙に恩着せがましい態度が滲み出てしまう。それならいっそ、素直にアイスティーを頼み直したほうが余程清々しい。しかしここまで来たら、飽くまで私は、けだしアイスコーヒーが飲みたかったのだ、という面構えを透徹するのが筋というものだろう。

私は、注文が正常に通った風な顔をして商品を受け取り、無事席に腰掛けるを得た。そして、不図てもとに目をやると、果たして今度はストローがない。かくして次なる作戦会議はその口火を切った。

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