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「月見パイ」と一緒に食べているもの

マクドナルド社が秋の新商品として「月見パイ」を発売しました。いちど購入し実食しましたが、マーケティングを含め魅力的なプロダクトだと感じたので、その機構を書き留めておきたいと思います。

○ケースデザイン

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・色彩

ケースは同社製「ホットアップルパイ」と同様の規格を用いつつ、既発製品にはない青と黄のコンビネーションで、鮮やかな色彩が目を引きます。

・月の配置

月は位置をセンタリングせず少し右にずらしてあり、非対称の美しさと機能性を同時に満たしています。というのも、同社のパイケースには通気口が設えてあるのです。これには、蒸気の滞留を避ける目的があるものと思われます。月の配置を中央にした場合、この通気口とぶつかりあってしまい、せっかくの満月が不自然に欠けてしまうので、若干右に傾いたものと目されます。一方、向かって左がわのビル2棟は、通気口によって一部が切り取られています。このことが、画面において何が主役であるかを語る証左となっているように考えられます。

・ススキは描かない

今回のイラストは都会が舞台になっており、ビル群があたかも集中線のごとく月に向かって伸びています。「月見」という風流なワードが引き寄せ易いイメージは「月見だんご」「縁側」「ススキ」「うさぎ」といったように、フーリューライクなものが多い中、あえて都会を舞台に、アーバンな意匠と対比させた点は、優れた「逆手の発想」と言えるのではないでしょうか。

月とススキの組み合わせは人口に膾炙しており、受け手に理解させやすいですが、一方で、無難すぎてベタな取り合わせとも言えます。月見という催しを2019年現在のコンテクストで捉え直す姿勢が、このイラストに新鮮な風を取り入れています。

・じつは満月ではない

ケースをよく見てください。月の上部が見切れています。そう、そもそもこの月は、完全に満月とは言えないのです。しかし、私たちはすでに見えている箇所を頼りにして、見えない部分を補い、なんとか頭の中に満月の姿をイメージしようとします。この視覚機能をアモーダル補完と言います。この補正を折り込めば、満月を描かずに満月を描くことができるわけですね。

また、情報は全て出し切ると説明的になりすぎることがあります。今回のケースのように、全体のうちの8割が見えていれば、それが満月であると認識するのには十分な材料です。全てを言い切らず余韻を楽しむ風流心は、「古池や蛙飛び込む水の音(芭蕉)」の体言止めや「菜の花や月は東に日は西に(蕪村)」結びにも通ずるものがありそうですね。

また、古くは次のように考えた人もあります。

花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは
徒然草/兼好法師

花は満開を、月はくまなくすっきり見えるのだけ、見るべきものだろうか(いや、そんなことはない)とする反語表現です。完全ならざるものをも愛でるという考え方は、兼好法師に限らず日本に親しまれた捉え方です。老子の「知足」の哲学にも通じるものを感じます。

・やっぱり…満月でした

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ここまで言ってなんですが、じつはケースを解体すれば…ちゃんと満月が姿を現してくれます(笑)。ただ、折り目を見ていただくとわかる通り、おもて面はわざと月の上部が見切れるようなデザインになっていますので、先に述べた内容をひっくり返すものではないと思います(ほっ…)。

○キャッチコピー

・ショートムービー

今回、プロダクトの一環としてショートムービーが制作されており、小学校教諭の奮闘が描かれています。舞台が小学校、そして主役が女性教諭となったことに、昨今の労働環境が無関係であるとは、おそらく言いにくいでしょう。映像には時計をクローズアップする演出が含まれます。長時間労働の問題にふれるカットとも捉えることができますね。

さて、この今日的な舞台で女性が月見パイを口にするのは、自分以外の全ての職員が退勤したあとのこと。月を見上げ、充足した表情を見せる様をカメラが捉えます。サムネイルにもなっているカットは、右手に月見パイ、左手にスマートフォン、背後にパソコンという配置になっています。情報機器が令和という時代を反映する一方、パイに含まれる餡子と餅は古くから日本で親しまれてき食文化の品。そして秋の夜長に月を見上げるということ。つまり、時代と共に変わるもの、変わらないもの、言わば変と不変とが一つの絵面に収まっている構図です。

また、クライマックスでは月の写真を(恋人と思われる)男性に送り、別々の場所から同じ月を見ているという状況が理解されます。手法としての珍しさはないものの、男女の機微があくまで爽やかなタッチで描かれており、清澄な大気にあって煌々と光をたたえる「月」のイメージとマッチし、商品のイメージをドラマティックに引き立てています。

・コピーの役割と文法的なギミック

キャッチコピーの「月を見る。心が上を向く。」は、プロモーションに先立って考えられたものなのか、あるいは作品の跋文として結ばれたものなのか、その点は定かではありません。ただ、確実に言えるのは、この商品は人の胃袋を満たすためだけのものではなく、ショートムービーやケースのデザインを含め、人々に「月見パイ」というストーリーを提供しているのだということです。

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心が上を向くというフレーズの裏を返せば、いまは気持ちが浮かないということです。文字情報としてそこに落胆の意は書いていませんが、言外において暗喩的に(あるいは宿命的に)そのニュアンスを示すことになります。つまり、この短いコピーの中で「下を向いていた人が上を向くようになる」というストーリーを、読む人に想像させるのです。

また、1文目が「月を見る」という原因動作を表している一方、2文目は「心が上を向く」という結果報告を担うものになっています。これは陸上競技の高飛びで言えば助走とジャンプの関係です。「月を見る」で読む人に注意喚起を図り、緊張状態を作って、「心が上を向く」で、なるほど!という納得感、解決感を得させるわけです。

さらに、月は空に控えているのが当たり前なので、これを見たければ人は自然と上を向きます。そのため「月を見る。目線が上を向く。」などとしてしまうと、1文目と2文目の内容に無駄すなわち重複が生じ、せっかく1文目で仕掛けた緊迫感が損なわれてしまいます。1文目をカタパルトとして活かしつつ、まだ言っていないこと、それも読む人に感情の動きを催させるなにかが欲しい。そこで、ライターの方は「上方向へのベクトル」という共通項を仲立ちに、「月」を軸足にして焦点を「人の心」へとシフトしたのです。

唯一ツッコミを入れるとするなら、ショートムービーやパイケースに登場する月は満月なのに、なぜかテーマソングは絢香さんの「三日月」であるという点。(笑)ただこれは揚げ足取りでしょうね。絢香さんの歌からは、あくまで「違う街、だけど同じ空の下」の意匠を借りているのでしょう。この際、月の形をとやかくいうのは野暮というものです。

ちなみに、「上を向く」という動作を人の心理と絡めた歌では、故・坂本九氏の「上を向いて歩こう」があまりにも有名ですよね。今が令和元年でなければ、この歌がCM曲の候補に上がったのかもしれません。

○終わりに

お腹を満たすにしても、せっかくならおいしいだけでなく、心も満たしてくれる何かが欲しい…つまり、人が求めているのは物質だけではなく、それを含めた体験です。今般、「もの」ではなく「こと」への需要が高まっているという言い方もありますが、今回取り上げた「月見パイ」には、ユーザーたちの需要に応える力と、製作陣の熱量があると感じました。

我々が「月見パイ」と一緒に食べているもの。それぞれの人生ごとに、色々な味わいを楽しむことができそうです。晩夏の折、秋らしいことを始めたい人は、手始めに「月見パイ」を食べてみてはいかがでしょうか。

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