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週報38(2019.2.25〜3.3)
週報の時間です。
西島、ようやく、息を吹き返しました。
まずは恒例のこちらから。
◯YouTubeの状況
2月第2週 2103人(前週対比101%、+26人)
身軽になったので、ここからが勝負です。10,000人まで、あと7,897人!7,897人ということは、8,000人くらいですから、残り10ヶ月で月800人の増を維持すると、目標が達成されます。いや、頑張らないと。
◯制作について
フリーズしていた創作意志が、ようやく解凍され始めました。会社勤めで理解したことは、「制作したい!」と「でも時間がない!」の円環が繰り返されると、どだい、人は制作意志を持ちにくくなるということです。ストレスを避けるための防衛術でしょうか。自分の場合、いくら制作のチャンスに恵まれなくても、「そうはいってもやはり制作がしたい」という気持ちが抑えきれず、音楽の方を取ったのでした。音楽のない人生は、到底考えられませんからね。
世間には「これだけは譲れないものはありますか?」という質問の形があって、そんなものはそうそうないよと思っていたのですが、結局自分にとっての音楽がそれだったということがようやく分かりました。職務に従事することで自由を制限され、制作時間を取れなくなるという状況を味わって、はじめてわかったわけです。このシチュエーションを的確に言い表している曲があります。この曲です。
なくして気がついた 馬鹿な俺だから
(葛飾ラプソディー/堂島孝平)
状況の変化が教えてくれることって色々あります。教えてくれているのに気づかないことも多々あると思います。だからこそ、気づけたときには散文として記録をつけようと思うのです。あるいは音楽という形で残すこともあります。記録する、作品化するという喜びはまこと何物にも代えがたい味わいがありますね。集めた記録をもとに対象を研究することもできます。この研究的側面には、囲碁・将棋の棋士の方が終生の仕事とする「最善の一手の追求」に似たものを感じます。
一つの仕事を10年単位で続けて、やがて自身の哲学を得る。こんなに楽しいことはないと思いますね。今は、毎日が本当に楽しいです。
◯また来週…
Twitterで3月の到来を宣言してから、はや3日。長らく皆さんに「音」をお届けできていないので、まずは早急にそちらの手当てをします。手当てっていうのも変な話ですが、音楽作家を自称しているアカウントから何ヶ月も新作が出ないっていうのは、さすがに致命的です。やはり「手当て」です。
また来週お目にかかります!
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