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-世界線について-

先ほど、SNSに、わたしは異なる世界線に生きている、という投稿をしました。

ただ、あんまりこういうことを言うと、ほんとうに異世界の人みたいになるから、説明します。



世界線というのは、その一つの世界線の中に価値観や尺度、善し悪しや善悪、様々なものが含まれ、コミュニティという形を取り、形成されております。

わたしの障害は、世の中の尺度や、社会の価値観の中では、決して、よいとされるものではありません。

仮に、AはBより素晴らしい、という価値観が、この世の中、一般的な世界線の中にあるとします。

その価値観に従うと、わたしの障害は、踏み潰されることになるとします。

そうしたとき、わたしは、きちんと自分の中に、世の中や社会とは、異なる他の世界線を用意します。

その世界線の中では、Bであることに価値がある、そうした世界線を意図的に生成して、わたしの価値を担保します。

そうした細かな世界線の作り替えのようなことを、わたしは、自分の人生の、様々な場面の中で、作為的に行います。

世の中の価値観では、取るに足らないものや、社会の尺度では、見下されて然るべきものを、わたしは、自分自身で生成した世界線の中で、真っ当な自分の価値として、存在させることにしています。

そのことが、狂っているように映るなら、それはそれで構いません。

ただ、あなたがたの、世の中の、社会の価値観や尺度では、現況、今の世の中や社会では、わたしのような障害を持って、真っ当に生きていく、ということは、かなり困難なことである、と、わたしは感じております。

あなたも、世の中や社会に、そろそろ合わせたらどうですか、と言うのであれば、わたしは、そうした意見は、片っ端から踏み潰します。

その意見は、世の中や社会が、障害ということについて、もう少し真っ当な理解を得られるようになってから、お話をしてください。

あなたの価値観では、わたしはごみです。

だから、わたしは、わたしはごみではない、ごみはあなたである、という価値観を生成して、異なる世界線で生きます。

うまく伝えられているかは、わかりませんが、あなたの人生が、きちんと生きることのできる人生であることを願います。

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