-縁もゆかりも-
自分たちと周りの人たちが幸せなら、それでいい。
という考え方が、近年の日本では、大流行しています。
ましてや、音楽やアート、演劇や文学に関わる人たちでさえ、そういうことを言っていたりします。
自分たちと、応援してくれる人たちが幸せなら、と。
それは、謙虚な物言いをしているのかもわからないけど、ちょっと問題かな、と。
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わたしは、ここ十年くらい、ご縁があり、演劇などに関わっています。
そのような場面で、その公演の会場にて。
大抵の場面では、劇団や役者さんのことは、応援しているけど、別にトマスくんのことは、応援してないよ、というお客さんは、必ず、一定数いると思います。
何なら、過半数は、そうかもしれません。
或いは、一部の人たちは、劇団や役者さんのことは、応援しているけど、トマスくんのことは、ちょっと下に見ているよ、みたいな層も、必ず、含まれている、と、わたしは思っています。
そうしたときに、わたしが、応援してくれる人たちのためにしか頑張らない人だったら、つまらないですよね、と。
わたし自身は、常に、自分を下に見ている人や、怪訝な顔をしている人たちにも向けて、音楽やその他の作品を制作しています。
そして、あわよくば、トマスくんのことは、内心、下に見ていたけど、なかなかいい仕事するじゃないの、と、思ってもらえるように、邁進しています。
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或いは、それは、お客さんだけじゃなくて、周りの人たちや、応援してくれる人たち、知人や友人にも、そうした気持ちはあります。
トマスくんの音楽は、もっと、こう、普通の、本音を言うと、別に大したことない、と思ってました。
けれども、少し見直しましたよ。
みたいな考えや思考の流れを促せるよう、配慮して、心配りをしています。
まぁ、ひと言で言うと、ぼくもそれなりに頑張っています。
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だけど、それが、自分たちや周りの人たちの幸せだけを求めていたら、そんなにつまらないことはない、と、わたしは思います。
ほんとは、トマスくんのことを見下していた人が、思わず、ほっこりしてしまったり、そういう場面を、一つでも、二つでも、作れるような音楽家、或いは、作家として、活動を続けることができたら、と思っています。
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不本意にも、トマスくんも頑張ってますよ、みたいな記事になりましたが、今後とも、何卒よろしくお願いいたします。
それでは、また好き日に。
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