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記号接地問題から量子情報論へ?

松田語録:落合氏・今井氏の対談を見て理解とは何かを考える~LLMは記号接地はしていないのか? - YouTube

 記号接地の論議は、逆の問いから観るとヴィトゲンシュタインの『論考』のテーマのようです。記号から現実への手順ではなく、現実から記号へという観点で観ると、人類は多くの未知の現実を残しています。ヴィトゲンシュタインは、哲学の進歩は概念の発見だと言っていたと思います。  
 旧約創世記の「人が呼ぶとそのものの名となるのであった」というこの言葉は、神の似姿である人間が為す意味付与、価値創造をストラテジーにしていますが、発達・成長の進歩史観で眺めると一般化できると、以前、カトリック神学会の拙論で書きました。  
 そもそも現実は、存在しなければ現実態の状態にないので無意味であり記号になりませんが、存在していても言語化・記号化できず、ある意味で主観意識では存在体験し、そしてその反省として存在経験をしているのに、客観化して対象化することができていない存在が多くあります。  
 エントロピー増大の方向の宇宙で、散逸構造でネゲントロピーとして情報の集合集積が展開する「情報進化過程」(例のブラフマン‐アートマン・モデルであり、シュレーディンガーも採択する単一知性説の現象過程です)において、世界の、宇宙の対象化、即ち、認識・知識を深める事態が認められます。人類を超えた宇宙の自己認識の過程の通過点かもしれません。  
 中世の「真理論」、特にトマス・アクィナスは「真理を知性と事物の対等adaequatio rei et intellectus」としました。ここでは記号、或いは言葉ではなく、知性と事物とされますが、これが、記号接地の実質的問題であるように思います。如何に真理に近づくか、それが問題であると言えます。  
 松田先生が仰られたeffectiveということで思い付くのは、observation selection effectsです。観測者の主観に何らかのバイアスがあるなら、認識が限定されます。これも古代・中世で「modus operandus sequitur modum essendum働きの様態は存在の様態に従う」と言われ、認識もその主体の存在様態で限定されるとしました。換言すれば、システム階層に応じた働きが生じるといえると思います。ここでも逆に言えば、システムの変換等、連続した要素置換ができれば、働きという効果に達するということになります。松田先生がヘレンケラーの例を出されているのは、この例であると理解できます。  
 ここでの記号接地問題は、記号(概念・言語)化された現実に、AIが接地しているか否かが問われていますが、寧ろ記号化されていない現実に対して、AIが接地できるかどうかということに焦点を当てる必要があるのではないでしょうか?

 私が師事した山田晶先生が、関係詞quoとquodの違いの理解をよく問われました。用法として「それによってquo知性認識される」と「知性認識されるところquodのもの」ということですが、ソシュールのシニフィアンとシニフィエに繋がり、松尾豊先生が説明されるAIのディープラーニングの中でも、重要な分析であると思います。  
 ここからシンボル・グランウンディング問題は、さらに中世以来の「普遍と個」の問題に繋がると思います。そして、それが保田先生が指摘された量子情報論に繋がる気がしてなりません。例のジョン・ホイーラーの「単一電子仮説」です。これが電子のエネルギー状態が普遍性を示すものであるということなら、トマスの現実態=esse=エネルゲイアを示し、それが観測者との関係で波動性から粒子性への様相・様態を示すような現象になるという気がします。さらに上の「単一知性説」との繋がりもきっとあると、考えています・・。
 結局、こうしてみるとハイデガーが存在について言った認識が浮かび上がります。存在的には最も近く、存在論的は最も遠い、地平概念としての存在seinの記号接地の問題を、我々の認識問題は、最も深い底流に有している気がします。


更に、電子のエネルギー作用を人類に「記号接地」させる話題がでた。

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