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セーラー服で機関銃トーク:西垣通『新基礎情報学』徹底批判について

セーラー服で機関銃トーク:西垣通『新基礎情報学』徹底批判~機械が知能を持てないとするこの本の論理がいかに無理筋か - YouTube

 神と純粋現実態とを混同すると、西垣先生と小林先生との「対立」を招くと思います。
 残念なことに、旧約も新約も、一般の理解が「神概念」を誤解させていると思います。 小林先生が紹介された『新基礎情報学』と同じく、西垣先生の『AI原論』でもAIが、一神教の土壌から出てきたと言われており、それに対して、私も直接、西垣先生にメールで質問しました。  
 ユダヤ教の唯一神は、民族統一の為に、多くの遊牧部族が、それまでの族長の神(先祖崇拝であり、日本の氏神の様です)を止めて、ヤーウェ(在る者)という統一神にしようと、部族間契約を締結したものです。だから、ユダヤ民族にとっては、その契約が重要になっているのでした。その上、民族統一は、農耕民から土地を奪取する為に、小さな部族から集合した結果であり、その上で「聖戦」と正当化して侵略しています。  
 西洋の思想史では、後にキリスト教が展開し、ギリシアを含め多くの思想を取り込みながらキリスト教神学を形成しました。  
 その中世における体系が、トマス・アクィナスで為されました。彼の時代に学問は、大学で発展し、その頃の著作が示すように、多くの見解を皆で寄せ集めて討論し、その上でまとめる様にしています。ちょうど、ユバルが現代のシリコンバレーに知が集まっているとしていますが、中世の大学は同じだと思います。  
 そこで、トマスは「神概念」を整理して、聖書の理解、解釈も否定せず深めながら、様々な概念を「こうしたものを、人は神と呼ぶ」と表現しています。そして、現代の視点でも、受け止めざるを得ない、小林先生も認めていらっしゃる「宇宙の根源的エネルギー」を純粋現実態エネルゲイアactus purusと、アリストテレスなどを援用して表現しています。  
 要は、神学に対して、西垣先生が世俗的概念理解で、論じられたことに問題があったと、私は思っています。神学は、むしろ、トマスの神の知論から無限論などが発展し、ライプニッツやカントールへとその思考法が進んだと考えられます。  
 ただ、西垣先生の主張に沿って考えるべきと思うのは、それは、科学Science=知識scientiaが、普遍の視点に傾向を持つことに注意することです。イデア論的な、ブラフマン‐アートマン・モデル的な世界観・精神観は、個に普遍を優先させます。優生思想もそこから出ます。トマスも、その点を問題視し、個の救済を最重要課題に据えました。西垣先生が主張されたことが、その個体生命の大切さであることは、また事実であり、実際、メールでもそれは直ちに確認できました。  
 「今ここ」現在に生きる命、その意識を如何に大切にするか、意識のアップロードは個的主観意識の現在を無視する結果にならないか、それを留意することだろうと、思います。

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