何故、私は広告を打つのか

 タイトル通りの備忘録的な駄文です。

 そもそもはインターネットの発達によって、私たち趣味人が本来は一人で楽しむものであった娯楽類(読書や音楽鑑賞)をとても気軽で簡単に共有体験という形のコンテンツとしても二重に消費できるようになったというところから始まります。最高じゃないですか?自分の好きな作品のコメント欄やレビュー欄に行けば他者による様々な目線から書かれた感想をただで読めるっていうのは。

 そのおかげで今までのように自分が良いと思った作品に出合って、それで満足!じゃなくて、それを好きな同志やそうでもなかった人、むしろ嫌いだ!っていう人たちがどういう感想をこの作品に抱いたのかまで読みつくして、SNSでも感想をひたすら掘って共感してやっと満足できるぜ!みたいな感じの楽しみ方をするようになってしまったのです。

 その娯楽に対する感情共有体験の場として最たる場が”ニコニコ動画”な訳ですが、作品自体に加えて他者によるその作品に対するコメントやその数、再生数・マイリスト数(高評価の数)などの情報すらもコンテンツとして消費することが可能になった私たちは、どうにかしてその付加価値を自分たちの手で少しでも増やそうとしたくなる訳です。自分で出来る範囲でやろうとするのであれば友人知人にその作品を推してみてもらうか、SNSによる拡散に協力するかくらいでしょうか。
  ですが残念なことに私は友人も少なければツイッターでの拡散力も低い……こんなことなら真面目にツイッターをやっていればよかった!!

 とまぁ、そこで出てくるのが各種広告なわけです。だってお金さえ出せば自分の全く知らない人に割と能動的に、私の好きなものを未知のまま過ごしている人にそれをみてもらうことが出来るんですよ?!魔法かなんかじゃんそんなの。自分の人間関係じゃどう足掻いても精々10人規模にしか届けることが出来ないところをアルバイトをたった三時間頑張ったくらいのお金さえあれば、少なくとも50倍の500人規模、うまくいけば1500人規模の人間に見てもらうことが出来て、その中の何人かが打ち込んでくれた新たなコメントを拝める可能性をお金で買えるんですよ!!たった3000円で不可能を可能にしてくれるってんなら喜んで労働に殉じますよ僕ァ!!って感じですよね。いや、まぁ実際そこまで上手くはいかないんですけど……

(あとあれですよね、形式上は好きな作品にお金を出しているのにクリエイターには一銭も行かないっていうのが倒錯していて良いんですよね。)
自分が直接クリエイターにお金を渡さなくとも、広告で物さえみてもらえば気に入ってそれ以上にお金を出してくれるファンがつくと信じてるので。

 ということで投稿者(クリエイター)が好きだからとか応援したいからとかではなく、それ以上にただただ自分が好きな作品に新たについたコメントを読むということをともすれば投稿者と同等レベルで望んでいるから、それを一つでも増やす手段として私利私欲のために広告という機能を用いているのだという話でした。(あくまで個人の思想です。)

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