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余地があるということ 

 考えたいときには考えさせてくれて、そんな気分じゃないときはただそこにある。モダンアートの魅力はそんなところにある、とふと思った。

 現代芸術ってすごいメッセージ性があるものが多くて、かつその伝えたいメッセージはかつてよりずっと多様化していて。でもそれって簡単に理解できるものではなく、果たして作者は私たちがどこまで意図を汲み取れると想定しているのか。そんなことわかるはずもなく。でも、そんなことどっちでもいいよってほっておいてくれる。考えたくなったらじっくり考える余地があって、考える気分じゃないときはその作品の存在感だけが目の前にある。そんな余地があるって本当に心地がいい。

 私は美術を専攻しているわけでもなく、十分な知識があるとは到底思えないけど、美術作品を見ることで気分がすっきりしたり落ち着いたりするから、とても好き。時間があれば、美術館に立ち寄っている。専門的な視点から分析した感想とかそういったものはどこかの詳しい人に預けて、私は自分だけで勝手に想像を膨らませて楽しんでいる。普段暮らしている中ではいくら想像力が豊かでも、同じところに戻ってきたり、そもそも想像力を発揮できるようなことがなかったりで、私の想像力は行き場をなくしてしまっている。でもそんなときに作品を見ると一気に考えが広がっていく、そんなことがある。想像が次の想像を呼ぶ。配色について考えてみたり、構図について思いをはせたり。そうやって自発的に作品を受け取ることもある。

 でも毎回そんなたいそうなことをするわけではない。なにも考えていないことがほとんど。すっからかんの頭でただ目の前の作品と向き合う。そういう楽しみ方もなかなか素敵。でも単純にそれだけでも楽しめることが出来るのは、やっぱり作者の技術力であったりがすごいからなんだと思う。彼らがまっすぐに自分や課題と対峙して作品を作り上げるから私はそれを享受できている。毎回そういうことに気づくことが出来て、感謝の気持ちが湧き上がってくる。だからきっと見終わったあと心がほっとあたたかい気持ちになるのだと思う。

 話の終着点が見つからないけれど、自分の中でアート作品、特にモダンアートの余地があるところが素敵だと気が付いたので記録として残したくなった。

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